単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

ありがとうございました


 気持ちの整理のために。


 一昨日、好きなブログが消えていました。もう毎日の習慣となっていたブログ訪問をしたら、そのブログが消えているのに気づきました。いつかこうなるだろうなーとは予想していたので、驚くことはなかったのですが、まあそれはもうショックですよね。ついに辞めてしまったのか、と。

 最初はサイト側のエラーなのかとおもっていました。しかし、ツイッターのアカウントも削除されて、他のサイトも削除されていて、いつまでもたっても「ご指定のページが見つかりません」という表示。ここまでくればさすがの私も、あーもう消してしまったんだ、ということに気付きました。

 ちなみにこのサイト、G.A.W.。もうないんですがね。


 とても人気のあるブログだったので、突然のブログ削除にその反響もすごかったです。リセットという言葉で語りましたが、この言葉ってやり直しって意味があるので、個人的にはちょっと違うんじゃないかとおもっています。またスタートすることが前提であるならばそこまで悲しまないわけで、もしかしたらもう二度と……、という悪い予感があるからこそ今回のリセットがショックだったので。


 それはまあいいんですが、いやもうね、本当にG.A.Wは好きなブログでした。文章、視点、ユーモアなどどれもが一級品であり、特に自分語りでは人間の面白さが存分に現れていて、何よりも書くということの面白さを教えてもらいました。勝手に、ですけど。

 わたしにとってのあこがれの存在でした。文章だけでなく、その生き方まで。骨の髄から虜になったわけです。あのブログに出会ったときなぜそこまでハマったかが今ならよく分かります。mk2さんが書いたことって生きづらい人間の処世術でもあるんですよね。いっしょくたにするのは失礼ですがそれを承知でつづけます。


 どうすればこの恐ろしくて美しい世界を生きていけるのか。この切実で大げさな問いの答えがG.A.Wに書かれつづけていた。いってみれば救いというわけです。

 俺のことは、せめて俺に決めさせてくれ。そのことによってだれかに致命的に迷惑をかけるなら、それはまずい。けれど、そうでない限り、俺は俺のことを自由に決めていいはずだ。


 確かに俺は人間から、この世界からずっと逃げ続けてきた。決められるのがいやだったし、干渉されるのがいやだった。それ以上に人間というものが恐ろしくてしかたなかった。しかし同時に、俺はあらゆる内面化からも逃げ続けた。あの、疲れた心にするりとしのびこんできて「おまえはこうあるべき だ」と告げる声から。


 俺は執拗に問うた。その「べき」は本当に「べき」なのか。本当は、特に根拠もなく「そうなっているから、そうすべき」という循環だけでできあがっているのではないか。

 
 勝手に引用させてらもらったこのセリフ、とてつもない衝撃を受けたのを覚えています。最近になって気付いたのですが、これって「論理・認知療法」の根本となる考え方なんですね。他にも「あえて人に嫌われようとする」といった行為は、哲学者の中島義道が推奨する「死なないための生き方」一つですし、そういった感じで「生きる」という力強さを文章のすみずみから受け取りました。というか、そうしなければ生きてこられなかったであろう、峻厳な世界で生きることをようやく納得できました。


 中には、まるで悲鳴のような、絶叫のような文章もあって、というかそういった類の文章がほとんどだったのですが、それこそがわたしの救いになりました。それと、なかなか自分の気持ちを言葉にできないのが口惜しくて、それで雄弁に語っている様も励みになりましたね。いつか自分もこういった境地にたどり着けるだろうかと。

 うーん、思ったことが思ったように書けていない。そろそろ気持ちに整理が付いたのでおわりにします。



 以前に、mk2さんに一度だけ文章力について直接質問したことがあります。G.A.Wでさんざん文章について書いてあったので、実はただ会話したかったがために質問したんですよね。そんときに5000文字くらいの文量ですばらしい返信をもらって飛び跳ねるくらいに嬉しかったです。つーか、じっさいに飛びはねました。質問でいえば、インタビューズでは何十個か質問しました。他にも一方通行の思い出ならめちゃくちゃありますね。


 こういうことを書いても本人が喜ばないのは分かっているので、というかむしろ迷惑だとおもうので、これはあくまで自分語りということの記事で。

 
 勝手ながらも、本当にお世話になりました。
 いままでありがとうございました。