単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

じゃあみんなまた明日ね!

昨日までは絶対に死にたくなかったので酒を控えていて、もうそうじゃなくなったし、西村賢太の『一私小説書きの日乗 憤怒の章』を読んでたら、筆者が毎日のように宝焼酎を飲み干していて(正確には三分の二くらいだが)、つい影響されやすい私は宝焼酎を飲みつづけている。

西村賢太は各エッセイで映画『苦役列車』についてボロクソにこきおろしているが、私は主役の森山未來が好きで映画の演技もすばらしかったからなんともいえない気持ちになる。NUMBER GIRLの無観客ライブの闖入シーンも何度も見返した。あと役作りのためにハイライトをふかさず吸って二日酔いの膨れ顔で現場に向かったエピソードを知っているのでなおさらそうなる。

最高のライブを体験するのは決していいことだけじゃなくて、これとそれを割り切れないような俺はCD音源では物足りなくなってしまう。なんて贅沢なのでしょう。

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分かる。「でかいペットボトルの酒を買う」への抵抗は分かる。買ったことがないし、人生で一度もスーパーでアレを購入した人間を見たことがない。尼崎のスーパーでもそう。とはいえ、ただこれは2.7リットルペットボトルの処分方法が面倒という地域柄もありそう。その少しハードルが下がった1.8リットルの紙パックは買ってるし買われている。

スーツ着た人間が生ビールをまとめ買いしているのを見ると、「そうはなれなかったな」という苦い思いが湧いてくる。売れたあとにも西村賢太宝焼酎を愛飲していたことを心に留めておく。

さっきほどまで『洗脳の楽園―ヤマギシ会という悲劇』という本を読んでいて、ヤマギシ会に放り込まれた子どもたちが血が繋がった親を嫌う話が多くて感動していた。家庭幻想、血縁主義、系譜原理、いずれも「あんたはそれを信じることができてよかったね」という話だ。

優しくしてくれる人にオススメされた『mother』というドラマに嵌っている。世には「お母さん」や「お父さん」と、そう呼ぶこと行為自体がドラマチックでカタルシスになる物語があって(舞城王太郎の『血か煙か食い物か』とか)、このドラマはそのような劇的な展開が一話ごとにやってきて引き込まれる。

血が繋がっているからってそれがなんだっていうんだという気持ちと、GW旅行中に大浴槽で甥に「元家族だったもんな」という彼なりの好意がこもった言葉を聞いたときの気持ちの狭間にいる。

春アニメは見なかった。アマプラで解禁された『少女革命ウテナ』のアニメ、映画を観ていた。一生付き合わされるような作品で、大文字のカテゴリーに回収されない強度と冗長性と曖昧さがあった。33話で発狂しかけちゃった。

『スキップとローファー』が好きで漫画は何度も読み返していて最近はアニメも観はじめた。兎に角、ヒロインの岩倉美津未がかわいいのだ。それで痛感したがどうやら私は三白眼の女性に弱い。そういえば『マルコと銀河竜』のマルコにも、『だがしかし』の遠藤サヤにも一目ぼれしてた。なんでこんなに三白眼を好きなんだろうと不思議な気持ちになった。

お薬でなんとかなっているような人生なので不幸な顔をしたくないのに、でも「生まれてこなければよかった」は決して揺るがない事実なのでは? 

いろんなバンドやアーティストが好きだから「〇〇が一番好き!」って名指しできるようなバンドやアーティストはいなかったがついぞ「Syrup16gが一番好きです」となった。

すばらしいマンガの『春あかね高校定時制夜間部』が最終回を迎えてしまった。「ここはひとつ、私が大人として何かできることは…無力」って甥から進路相談を受けたときのそれ。

じゃあみんなまた明日ね!

私より先に終わらないでね!