単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

syrup16g/syrup16g

ラストアルバム。まだ夢は醒めていない。
 とつじょ、このアルバムのレビューを書きたくなったので。

 現段階ではsyrup16gとしてのラストアルバムであり、初のセルフアルバムでもあるsyrup16g。現段階としたのは、未だに「もしかして」を捨てきれないからです。未練がましいのは承知ですがそう思っていたいのですよ。

 ラストアルバムであるこの作品は、syrup16gが解散する、というバンド背景に一致する作品でした。どこか遠くで音を鳴らしているような音像、解放されたかのような達観した感情、そして「俺」という言葉が他者を含まなくなったこと。エンディングに向かってゆっくりと下っていくようなストーリーが聞こえます。

 このアルバムはまるで終わりを告げるような作品であり、じっさいに、このアルバムでsyrup16gは終わりを告げました。ファンの一人としてラストアルバムを評価するときに、個人的な感情を決して排除することはできません。だから、一方的に終わりを感じてしまうのかもしれませんが。

 春。アルバムには「さくら」「scene through」といった春をモチーフにした歌があります。出会い別れの季節である春の穏やかな様相。さくらが舞い散って別れを告げる風が吹く昼下がり。そういうイメージのアルバムでもあります。いや、もうこれは思い込みかもしれませんね。なんせ、syrup16gが解散したのは、ちょうど春が色濃くなる時期でしたから。


 ラストのラストの弾き語りをのぞいては、ほとんどの楽曲がミドルテンポのロックナンバーです。一つだけ突出して目立つような楽曲はなく、良質な楽曲がまとまっている印象です。この良質って言葉が私にはしっくりきます。良いのです。
 これまでは、どちらかというと普通ではなく異質な楽曲が多くあり、それを魅力を感じる人々に受けていたといった印象です。が、今回のアルバムは、J-POPとしても良質でこれまでsyrup16gを苦手としてきた方にも取っつきやすいと、そんなアルバムだと思います。

 誤解を招きそうないい方になりましたが、私はこのアルバムは好きです。大好きです。
 五十嵐隆の抜群のメロディーセンス、アレンジによって味わい深いサウンド、さよならを告げる優しい歌詞、後悔を受けとめる慈しみの歌詞。どれもが素晴らしいです。
 でも、私はそれでは満足できないんですよね。心がざくと抉れるような詞、耳に引っかかるでサウンド、彼らが抜き出しにしてきた魂の先端に心をグサリと突きさされることを喜びとしてきたので。もしかしてマゾですか。そうかもしれません。否定できません。
 
 今でも解散した事実は悲しくてしょーがないです。そして、このアルバムはその悲しさを取り込んでしまった。だから、私にはもうまともな評価はできないようです。好きなのに悲しいアルバムです。点数を付けるのは無理です。

 とくに理由もなく突発的に書きたくなったので書いてみました。もう、syrup16gが解散してから数年も経ちますが、いまだにこのブログには彼ら関連で検索でこられる方が非常に多いんですよね。嬉しくなります。私はどちらというと熱狂的なファンではないと思います。それでも、好きなバンドを好きでい続ける方が多いことは、ちょっぴり嬉しくなるのです。



 ラスト曲の「夢からさめてしまわぬように」の歌詞にある


もっと 寄り添って 近づいて
もっと 寄り添って 近づいて この手を握って

そっといかないで 少しだけ 声をかけて
そっといかないで



 もうね、こういうことをさいごのさいごに歌われても、ファンである僕らは何を思えばいいのでしょうか。そっといくのはどっちだよ、ってつい苦笑まじりのツッコミをしてしまいます。そのツッコミはもちろん空回りです。
 五十嵐隆がつづった歌詞は「俺」が「あなた」であり「君」が「僕」でもあったことをふと思い出して、最後までどこまでも彼は彼らしかったのだなー、と思ったのでした。