単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

特撮『ゴスロリちゃん綱渡りから落下す』の間違っているのか間違っていないのかよくわかんない歌詞について

ゴスロリちゃん綱渡りから落下す』という曲には間違っている歌詞がある。特撮の曲で作詞は大槻ケンヂ

明らかに間違っていると指摘できる歌詞はあまりない。おれは他の例を知らないし。しかも歌詞の情報が間違っている(も知らないが)とかではなくて『ゴスロリちゃん綱渡りから落下す』の歌詞で論理的に間違っているのだ。2+2=5みたいに。シンプルに。

具体的には、

私が堕ちて 死んだ後 

殺人者と被害者が 世界中で生き返り

再戦を開始するでしょう

殺人者側は数で大いに有利

だって一人で何人も殺している奴がいるんだからさ

のとこ。

殺人者が一人で何人も殺すと仮定したら殺人者より被害者が多くなる。例えば、殺人者一人で被害者が百人いたら被害者の方が数が多い。すると生き返った数を比べたときに被害者の方が多くなるので殺人者は数で有利にはならない。

とシンプルに間違っているのだ。もし「数で」がなかったならば殺人者が有利そうなのでなんらおかしくはないが。「数で」なので。

で、歌詞に間違いがあるのはあまりにめずらしいものだからみんな「間違っている」と思えず、自分がどこかで思い違いをしているじゃないかと疑ってしまう。

おれもそうでこれまで曖昧にしたまま過ごしてきたが、ふとその間違いを迂回できる解釈が思いついた。当該箇所の間違いという事実は否定せずに曲全体としては間違っていないという解釈になる。

この曲、ナレーターがいて地の文があるのだ。わざわざナレーター(大槻ケンヂ)とゴスロリちゃんの台詞は明確に分けられている。そんで上で指摘した間違いはゴスロリちゃんの台詞なのだ。

だったらこの間違いはわざの可能性が出てくる。部分的には間違いなのは変わりないが意図されたものとして組み込まれているというわけ。ゴスロリちゃん、頭をよくしてあげよう? 

もちろんただ勘違いしている可能性もあって、おれはライブでよく大槻ケンヂが歌詞が飛んでしどろもどろになったり客にマイクを向けだしたり、あと印象深いのではカメラ入りの心斎橋クラブクアトロでのライブでこの日に向けてギターを練習してきた『アザナエル』がどうも弾けなかったようで「ごめんもう無理」で客とメンバーからブーイングされていたのを目撃したことがあり、可能性はありそう。

で、さらに歌詞は

そんなことよか

私の代わりに生まれてくる人間が 安い服なんて着ていたら 絶対私は許さない

とつづくので、そんなことよか。なのだ。

そんなことよか、ギターが弾けずに終わったライブでは「次だ。次。もうあれはいいの。渾身のバラードで盛り上げるぞ!! 見とけよお前ら!感動するぞ」と即座に客を煽って自分のペースに戻したのはさすがだった。終盤でメンバーに「オーケンめっちゃテンパってたでしょう。付き合い長いから分かるけどあの失敗をかなり引きずってるよね」って言われて苦笑いしていてかわいかった。

 

そんなことよか『ゴスロリちゃん綱渡りから落下す』のすばらしいファンアートがあった。

三つ巴フルスロットル on Twitter: "ゴスロリちゃん綱渡りから落下す https://t.co/ydEkwRX77A" / Twitter

そもそもゴスロリちゃんの辞世の言葉に「間違っているよ」は失礼じゃないかという気持ちがでてきた。間違っていたのはおれかもしれない。単純な計算を間違うほどにゴスロリちゃんの人生は綱渡りだった、もしくは単純な計算ができない(ケーキが三等分できない)ほどゴスロリちゃんの生育環境は過酷だったという解釈は穿ちすぎかはわからないがそうなるとおれは「難しい」と書くだけなので触れません。

ゴスロリちゃん綱渡りから落下す』はそんなことよかのあとの歌詞がいい。

「そんなことよか 私の変わりに生まれてくる人間が安い服なんて着ていたら絶対私許さない とっびきり美しい少女でとびっきり奇麗な服を着て」で最後が「私と違って足なんか折れるほどに細いんだ」なのだ。最後にその言葉を持ってくるのか。

「そんなことないよ」「気にしすぎだよ」なんて綺麗事をやれない強度があっていい。