単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

酩酊日記 part9

いま酒気帯びで、鬼ころし宝焼酎で意識/視界ともに不明瞭になりながらやっているのはSyrup16g『Rookie Yankee』の「死ぬのだ 死ぬまで 全部絞って」っぽくて、嬉しくて、だったらもう「絞りきって 全部死のう」をやり切りたい。

コメントを見返していた

ライブドアブログの時も、はてなブログの時もたまにコメントを貰っていて、そのコメントを見返していたら「これって財産じゃん。やっててよかったの理由になるじゃん」と痛感した。

クソで、吐瀉物で、書き割りで、パクリで、そこらへんに転がってる退屈な喜劇や悲劇を再放送しているだけで、パクリ元は西京BOYさんと黄金頭さんとMK2さんで、それでも読まれたことがあり、読まれなくもなって、いまだに読まれることがあって、なんか有り難いという言葉のままと痛感している。

私のブログを読んだことがある人全員に、もし私ができることがありならば何でもするよ、という気持ちになってきた。お詫びと感謝。でも私は金がないから金がかかることはできないけど(欲しいものリストとかは)、金がかからないなら何でも頼っていいから教えてほしい。

で、日付けが変われば、むしろ「助けてほしい」とか言っちゃう。

まずお前がしっかりしろと言われちゃう。

 He's Lost Control

「コントロール不能、コントロール不能の気持ち、気持ちいい~」はNUMBER GIRLの曲の中でしか生息できない。

曲から取りだしてしまうとギョッとする。曲という特殊な生態系でしか生存できないから数秒で息絶える。

曲ではないからギョッとさせる記事になってしまう。

この文章は歌詞ではないから。裏では最高のギターが響いているが、それは向こう側には絶対に届かないから。

悪趣味カルチャー2023

スプラトゥーンにハマった→スプラトゥーンの配信や動画を見るようになった→それで知った配信者がオフパコ(という言葉には抵抗があるが)で炎上していた→相手の19歳がODと睡眠不足のなかでツイートしていた「明日カノは読んでるけどガチ恋粘着獣のほうが好き」でなるほど!となった→悪趣味カルチャーじゃん……。

死んだ人のツイートと殺した人のツイート(『母という呪縛 娘という牢獄』の人とか)と炎上している人のツイートをついつい読んでしまう。

こんなのどう捉えようが悪趣味でしかないでしょう。他者の生を観光してはいけないのに。

だからもし私がそうなってしまったときはゲラゲラと笑ってほしい。こんな奴にだけはなりたくないと笑ってバカにしてほしい。

でもどれだけ酩酊しても一線を引いてしまってそうなることはなさそうで、十年ぐらいブログをやっているのに確信を避けているし、予防線で編んだぬいぐるみを抱いているから(という比喩)そうなれなさそうなんだよな。

あとシンプルに読まれてないし。はてなブログを更新するたびに「記事をSNSでシェアすると、もっと読まれやすくなります」と出てきてもういいって思っているし。

理想は「この人が生きているんだし、自分も生きていよう」的なブログで、それを公言し実現させたのはMK2さんしか思い当たらない。そんでもってそのブログはもうない。

カート(チャット)を育成している友だちと大麻を育成しているマンガ。

結局、酒もカートも市販薬ODも文化でしかない。

カート(チャット)を試した。ただの苦い葉っぱだった。なんでこんな苦いだけの葉っぱをくちゃくちゃしているだろうと笑えてきた。

カートは覚醒植物で、ヨーロッパだけでも15か国で規制下にあり、日本では規制対象になっておらず、高野秀行によると、酒が禁忌の敬虔なムスリムが嗜んでいて、特にソマリアランドでは居酒屋ならぬ立ち噛みカート屋があるくらいポピュラーらしい。

で、おれは機会があり、やってみたらただの苦い葉っぱだった。なんで味のしない苦い葉っぱを噛んでいるんだろうと悲しくなった思い出がある。インターネットのカート体験談もだいたいコーヒーくらいで酒より効果ないと書いてある。

ただこれは、中島らもが『アマニタ・パンセリナ』でメスカリンは本場のモノでないと成分量が少なくて効果が薄いのかもしれないという話や、高野秀行の本であったカートの覚醒作用を得るためには作法(セッティング)が要求されるという話なのだろう。

酒は飲めば飲むほど遠ざかれてしまうから、愛や生活を棚上げすることができるから、人だけでなく酒との付き合い方もうまくいかない。

『東京カンナビス特区 大麻王と呼ばれた男』は東京カンナビナス版『ブレイキング・バッド』でどっちもいい。

たまたまそうなっただけで、たまたまそうなっていないだけ

泥酔して書いて勢いで公開して起床して恥ずかしくなって消した記事にSyrup16gの『クロール』について「人類は結局この曲よりいい曲を生みだすことができなかったんだよな。「10階から転倒」を越える真実を歌うことはできなかったんだ」と書いてあった。で、(ほんと偶然に)その日にツイッタートレンドで知ったニュースに「“制服”姿の女性2人、10階から転落か」とあってそんな、そんなとなっていた。

なんでそこで一致しまうのか。そうなったら過剰になってしまうじゃないか。悪趣味じゃないか。全方面に失礼じゃないか。となった。

で、さらに、さらになんですが、その翌日にももち麗子の『めまい』を読んでいたらまたそんなとなったシーンがあった。

なんだこれは。これはなんだろうとなった。セレンディピティではなくて、そういうマンガやニュースにアンテナを張っていたからそうなっただけなんだろうが。それにしても。

2022年の自殺者数は21.881人で、『うわさ』の冒頭シーンは2000年の自殺者数は31.957人とあった。

3~4人から2~3になったらしい。

何と言う?

鬱マンガ

togetter.com

このまとめに限っては「鬱マンガ」の正解がある。『ミッションちゃんの大冒険』という正解がある。

「鬱マンガ」のカテゴリーはいまいちわかっていない。上のリンクないのだと『ヤサシイワタシ』『狼の口 ヴォルフスムント』もカテゴリーに含まれそう。

でもよくわかんない。まとめではグロやスプラッターやバイオレンスや救いようのなさや精神疾患のしんどさが「鬱」と一括りにされていてごちゃごちゃになっている。

その上で私は「鬱マンガ」に挙げられている作品がほぼすべて好きなので(読んでいて)分かってしまう。

その手のマンガではだいたい「どうしてこうなっちゃったんだろう」というセリフがあり、それを判断基準にし、そのセリフが登場した万がを人にオススメするときは慎重になったほうがいいと自戒している。

で、みんな『狼の口 ヴォルフスムント』を一話だけ読もう! とことん胸糞悪くなれるからオススメ! 全巻読んでしまうといいマンガだったとなるから一話だけ!

Requiem For A Dream。


www.youtube.com

『学習まんが人物感』シリーズではモーツアルトがいっちゃん好きだった。死神がドアをノックしてモーツアルトが死に体になりながらレクイエムを書き上げたシーンが好きで、いまでも覚えている。

だめなひと

なんでこうなってしまったんだろうの答えは「運が悪かった」で済むのにおれは未だになんでこうなってしまっただろうって泣いてる。

頭が悪い。折り合いがつかない。受け入れられない。どうしようもない。頭が悪かった。頭が悪い。頭が悪かった以上はいらない。

でもでも、なんでおれはこんなおれになってしまったんだろう、どうしてこうなってしまったんだろう、でグチャグチャになる。

本当に疑問に思っているわけではなさそう。他人事だったならばそりゃそうなるでしょうと頷くことはできるから。でも他人事じゃないし、「いま、ここ」がそうだから泣いてしまう。

取り返しがつかないのは、そっか、取り返す必要がなくてよかったと思っちゃう人なので、まあこうなるのはこうなってしまったんだろうな。もっとうまくやれたはずとはちっとも思えないのは幸か不幸かよく分かんねえな。割り切れるし、納得できる。でもしんどいんだよなあ。

とある場で「学生時代の友人と比較して劣等感と思いますか?」と問われて、そう問われてしまったからには「はい」としか答えようがない。小学校は公文式/日能研の塾漬けで、中学校受験やってたし(本命は不合格)、大学受験時には朝五時起き夜九時帰校組のメンバーのなかで最終学歴が高卒なのはおれだけだから、劣等感がないって言うほうが納得されなさそう。ないんだけどそうなってるほうが分かりやすい。

別に不幸自慢したいわけじゃないけど生存のために不幸自慢しなくちゃいけないのがしんどい。

みんな苦しいし、みんな苦しいから、首を吊るか、または高層ビルから飛び降りているのに。そういう話を見聞きしつづけているのに、みんなサワヤカにやり遂げているのに、まだ生きている。

「それでいい」という声と「それはよくない」という声が交互に聞こえてきて、いずれにせよ幻聴でしかない。

人に多大な迷惑をかけてまで生きたいわけではないけれど(多少の迷惑はかけるだろうが)、かといって金がなくて飯が食えなくて空腹になって低血糖症状でのた打ち回りたくない。

それに精神障害者だし。診断あるし。睡眠導入剤ないと眠れないし、いまは抗うつ剤を最大容量摂取してようやく人間をやっていけているだけだし。それもうまくできてないし。

部屋は洗濯機交換業者に「凄いことなってますね」と言われるくらいの有様で、これでも前日に一生懸命片付けたのにで、あと甥がおれの部屋に遊びに行きないとぼそっと言ってもスルーするしかない。

もはや掃除するよりかは自死するほうが手っ取り早い。片付け業者に見積もり依頼したら「5万から10万くらいになりそうです」とのことで、ますます自殺したほうが金も労力もかからなさそうときている。

でも死にたくない。Syrup16gの『HELL-SEE』ツアーで『末期症状』を聞くまでは生き延びたい。真っ先に思い浮かんだ。

もう「おめでとうございます」と言うのに躊躇したくない。ゆりかごから墓場まで「おめでとうございます」を堂々と言えなさそう。

だってわたしもあなたも絶対におめでたくないし。有り難いはできる。でも、おめでたくはない。いつだっておめでたいことなんかありゃしない。

「あけましておめでとう」を文化や慣習、とりあえずやっとけと理解していながらもやれていない。

みんな幸せになってほしい。おれも幸せになって幸せを分かち合いたいけどどうしても難しいからもう少しだけ待ってほしい。

愛されたいとは思わないが、愛したいなと思う。

無理な話なのでしょうか。

十年くらい愛用しているコップがある。キアヌ・リーブス主演の『コンスタティン』のモノマネをしたくて買ったメキシコ製タンブラー。ぶ厚くて頑丈で、酩酊しているときに放り投げても落としても割れない。

心が割れると元通りにはならない。その後の生が決定付けられる。そうでもない人もいる。人による。人それぞれの適応範囲は幅広すぎて、人それぞれで納得しちゃうのは思考停止に過ぎない。

なんでおれは「ディム」ってハンドルネームにしているんだろうと疑問符が浮かんだ。元ネタはTHE NOVEMBERSの『dnim』とは知っているが。でもおれは「ディム」じゃない。でもでもクソみたいな親に名付けれられたクソみたいな名前はクソすぎて名乗りたくないからディムでいい。そう、何度か呼んでもらったからそれでいい。

たまに「珍しい苗字ですね」って言われて「好きでこんな苗字になったんじゃねえよ勝手にそうなっただけで変えられるならばそうしたい」とキレそうになる。苗字も名前も自己責任ではない。それに関してだけは絶対にそう。名字と名前が「でもそれって自己責任ですよね」とかいうやつは救いようがないバカだからそもそも相手にする必要がない。

ちなみに「ディムさん」はおれ以外にもインターネットにたくさんいる。おれはディムさんたちの中でもっともディムさんじゃない。

学生や浪人時代の夢を見たくない。浪人時代の夢は悪夢にしかならない。もう割り切っていると、割り切れたと思っていたのに、いまだに夢がうるさいのなんの。

夢の中で、罪悪感で膨れあがって、破裂する。いまだに。

あなたやあなたが幸せになってほしい。できれば想定外の幸せがそこにあったという気づきをもって、あなたが幸せになってほしい。あなたにとって想定外の幸せがドアをノックしてほしい。それで「こんなに幸せでいいんだろう」かと後ろめたくなるくらいの幸せになってほしい。

これ、百回くらい書いたけど、おれが中学生のとき、国語の時間に宮沢賢治の『永訣の朝』を仲良かった女子が音読するのを聞いて、授業中に感極まって泣きそうになった。

自分が自分でしかないしんどさを見透かされてしまった。

その仲良かった女子と中高時代はそこそこ仲良かったが、おれが浪人になって二十歳で発狂してからは連絡を取っていない。仕事の関係でFacebookのアカウントを作らされたときに(パワハラ)プライバシー設定してなくて連絡きたけれど(めずらしい名字と名前の呪い)返信はついぞしなかった。できなかった。

死にたいのに死を実行したくない。死と苦のグラフは漸近線を描くから実行しようとならない。

なんでおれはおれのことばっか考えているのだろう。なんでなんでなんでと中学生から変わってないし救いようがない。

おれが何を書いたところで、時間の無駄でしかない醜悪で後悔する自己陶酔ポエムを書いたところで、結局、あなたがまだ出会えなかったすばらしい曲のリンクを張ればみんな振り上げた拳を下げてしまうと甘えている。だから、おれがどうしようもなくなったときにも聞くことができる曲を張って、あなたが振りあげた拳をそっと下ろして欲しい。


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二十歳の冬に発狂し、翌年に実家に強制送還され、憎悪と希死念慮にかられて壁を殴りつづけたときに母に「やめなさい」と抱きしめられて、ほんとうにこいつ殺してやろうかこんなに触れられて嫌になることあるのかとなったけど、思うだけにとどめて、自立し、現在も母が生きているのを褒められたい。

母が死んだらおれはどんな気持ちになるんだろうか。母より先におれが死ぬんじゃないか。等々ある。

そんなの誰も褒めてくれないから、自分で褒めるしかないけど、自分で自分を褒めたところでなんにもならない!

酩酊と酩酊の狭間で「人を殺さなくて褒められたい」という気持ちが出現し、こんなの人にどうしたって共感してもらえるわけがないとこぼした笑いが乾く。

こんなんだけど来週の土日に街にやってきたサーカスを甥と見にいく約束をした。約束は守るよ。それくらいは。「○〇兄とサーカス見るの死ぬほど楽しみ」と言ってもらえておれも死ぬほど嬉しいよ。いつまでもいい伯父でありたい。ゲームが上手いだけで尊敬される時期をすぎてもそうありたいな。

コップに注がれた酒とコップをシンクに放り投げても

割れない。粗雑に扱っても割れないコップこそが、ひょっとすると、あなたの人生に欠けていたピースかもしれない。

人生の半分損しているは嘘なので騙されないでほしい。

人生、それこそが全損なので。

とはいえ、全損の人生でも良さや美しさがあり、酒や薬や音楽の力を借りて運よくその瞬間を切り取りれたならば、そのときの言葉は「生きていてよかった」になるんだろな。