単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

syrup16g『Unfinished Reasons』を読んだ

syrup16g『Unfinished Reasons』を読んだ。読み応えがあった。

勢いだけの箇条書き感想。敬称略。あと再結成以前のインタビューは初見で興味深かった。

・バンド、よくぞ今日の今日までやっていけてるなあ。感謝と可能性の二つの意味で有り難いことだったんだなあ。などを痛感した。これからもそうであってほしい、そのために物販に金を落とす、そのために。

・解散を挟んだとはいえ、過去に読んだインダビューでも理解していたつもりだが、もうずっと昔から想像以上に薄氷を履むようなバンド活動をやっていた。特に『Syrup16g』リリース時のインタビューなんてバンドを終了させてもそうなるだろとしか思えない切羽詰まった状況で、その深刻さに読み進めるのがしんどかった。

Syrup16g再結成時、五十嵐隆が歩み寄らなくなったからキタダマキが了承しなかった可能性が高かったこと。二人がご近所でよかったこと。現在、バンドは最高のアルバム再現ライブツアー中なことを考えた。

五十嵐隆が『翌日』を完成させたときにいい曲ができたのが嬉しくて自転車を漕いで中畑大樹に聞かせにいくエピソードが何度も何度も出てきた。エピソード自体は知っていたが、こんなに繰り返して語られるようなバンドの原風景だったとははじめて知った。

・パブリックイメージ、レッテルや偶像化については五十嵐隆本人から「財産でもり、枷でもある」と語られていた。ただ、インタビュー本を通して分かったんだけど、これ、どちらかというとインタビュワーの金光裕史さんの方が意識していた。だからインタビュー内容やライブレポに至るまでそういった観点で切り取りがちな傾向があった。

・この課題は多かれ少なかれ活動歴が長いバンドのすべてそうだが、Syrup16gという異質な存在(らしい)と音楽シーンの関係項があり、彼と彼らはことさら意識さぜるえなくてまた他者に強調されていったのだろう。さらに、この本は雑誌「音楽と人」に掲載されていたインタビューをまとめた本であり、雑誌の特色もあり、インタビュワーとの長年に渡る関係性もありそう。そして、本の基底通音にある「Syrup16g、ひいては五十嵐隆のイメージと実像」というテーマはそれこそ永遠にという話かもしれない。

・もういまどきSyrup16gリスナーに「鬱ロック」*1で括るようなレッテルだけで語るリスナーはいなさそうだが。と甘く考えていてtwitterで調べてみたらどうなんだろう。わからない。もしいまでもそう捉えられるならば、そりゃインタビューで逐一話題に挙がるし、バンドの宿命的課題として共有されるし、キタダマキにソングライティングやギタリストとしてフォーカスされてほしいって語られてもしょうがなさそう。

・ホスピタル的言及が二回ほどあった。毎月通院している身からすれば、べつに濁さなくても堂々としてもいいのでは?という気持ちと、そうしちゃうと私にみたいなやつに似合わないパブリックイメージが強化される恐れがあるから濁したほうがいい!という気持ち。

・それにしても、このようにインタビュー本を読む行為自体が、曲以外からの情報を知り、制作背景を学び、文脈が付け足されていくから、ピュアに曲そのものに向きあう(がそもそも不可能だとしてもそう望むならば)姿勢から遠ざかっていくという難しさ。

・具体的には『Syrup16g』レコーディング時に中畑大樹キタダマキが疎外されて主に五十嵐隆とスタッフで制作したのは文脈でしかない。

UK.PROJECTの遠藤幸一さんがどれだけSyrup16gを支えてきたか、いまも支えているのかとSyrup16gのつぎにSyrup16gについて感謝するときに頭が上がらない。

・歌詞は二の次(といっても妥協は絶対になく、制作の比重としての話であり、妥協しないからこそ苦悩が語られたり行き詰まったりする)その歌詞は私にとってはSyrup16gの魅力に違いない。同じくらい私が歌詞が魅力とおもうハヌマーンというバンドがいて、その山田亮一は自分たちのバンドは歌詞が武器になっていると自負しているし、私が好きな作詞家は歌詞への向きあい方がそれぞれ違ってていい。

・なんというか、五十嵐隆はthe last day of syrup16gの『新曲』のエピソードにあるように、ソングライティング能力だけでなくメロディーに言葉を載せる技術(=作詞)能力もずば抜けているんだろうなと。

五十嵐隆のレコーディング嫌い問題の深刻さ。どんだけレコーディング作業が嫌いなんだ。『Les Misé blue』はそうじゃなかったらしいが。でもそれでも曲を作るの0から1するのは好きで、レコーディングするの1から10にするのは嫌いって、もうずっとインタビューで語りつづけているから心底伝わってきた。 

・バンド内でも『HELL-SEE』の異様さ、出来の良さへの意見は一致しているようで、いよいよもって「"Live Hell-See"」が待ち遠しい。

・つながり」やさみしさについての膨大な語りを浴びたあとに聞く『Les misé blue』の良さよ。本を読みながら浮かんだ様々な思いが「ひとりの世界はひとりじゃないから」で結実していった。

・『Reborn』の歌詞引用しすぎ ! 「時間は流れて僕らは歳をとり汚れて傷ついて生まれ変わっていくのさ」はめっちゃいい歌詞だからわかるが!

・『変態』が『サナギマン』じゃなくてよかった。ほんとうによかった。……いやでも『エビセン』みたいで一周回ってかっこいいかもしれない? サナギマンTシャツは欲しくないけど。

・インタビューで2時間沈黙って10階から転倒みたいで語彙がいい。

*1:に関しては、いち患者だった身としては『鬱』ではなく、さらに細かく類型単位で括るならば意味がありそうだと考えている。過去のように無邪気に分裂病に芸術の源泉を見出すような時代でもないから、その意味は限りなく薄いが。まあ『鬱ロック』での『鬱』は『憂鬱』で『性格上の暗さ』や『ネガティブ』くらいの意味でしかなさそう。カジュアルな使われ方に反して言葉が持つイメージの強い。その齟齬が人を不快にさせているという印象がある。私はSyrup16gはどのような偏見からでも消費されない強度があると思うし、ライブで生で『リアル』のあのバンド形態の到達点みたいなバンドアンサンブルを聞いてほしい!聞いたらもうSyrup16gSyrup16gとしかなくなる!という立場なので、特に思うことはない。ただ「鬱」も「うつ病」も用語自体が非常にややこしい歴史や経緯があり、『うつの医療人類学』や『うつの構造』が参考になり、ややこしすぎて「うつ」が分からなくてノータッチとなる。