単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

開花したアンバランスな才能が描いた悲しい世界 THE BACK HORN「イキルサイノウ」


 神様、俺達は悲しい歌が気が触れるほど好きです。


イキルサイノウ


 「俺たちは害獣 燃え尽きて死んでしまえ」
 「死にゆく勇気なんてない それなら生きるしかねえだろ」
 「笑う才能が無いから、顔が醜く歪むだけ」
 「時代はメリーゴーランド 振り落とされそうなスピードの中 泣いている暇はない」
 「ああ 届かないなら歌なんかいらない カミソリを喉に当て引いた」
 「躓きながら 光の結晶に 何度でも手を伸ばす俺達」
 「毒蛇回路を怨にして続けよう 汚いファズが垂れてる 腫れ上がる赫」
 「小さな革命だった 君が肩に触れた」



 メジャーでの3rdアルバム「イキルサイノウ」。音楽性の間口の広さを垣間見せた充実作ということで、クリスマスに彼女と鑑賞するのが似合いそうなバラード曲がある今作ですが、一方でアンサイクロペディアの「学校の放送で流すと親呼び出しにされる曲一覧」にエントリーされた、さすが俺たちのバックホーン!と頷きたくなる衝撃的な曲もあります。しかし、歌詞の「悲しい歌が気が触れるほど好きです」に代表されるように、アルバムに通底するのは物悲しさだったりします。基本は、悲しい歌なのです。季節は12月。





 これまたファンとしては評価が難しいアルバム。呼吸するように聞きこんでいる私には、全体の印象よりも各曲の印象が強いせいか、アルバムという統一した像がないのです。正直、個人的にはバランスが良いとは思えません。むしろ、イキルサイノウということで、生きることで生じる様々な葛藤を詰め込んだ感じ。希望も絶望も諦観も優しさも感動も全部ひっくるめての感情。ただそれらは悲しみの方向に偏っていますが。そのアンバランスこそが真髄のような感じで、ある時期にここまで振れ幅がある音楽を制作したことが貴重。そこで彼らの目に映ったリアリティをずっしりと感じます。

 しかし、後半の重厚さはこのアルバムの特徴で最高に振り切っています。イキルサイノウの真骨頂ここにあり。問題作である「ジョーカー」でとんでもない世界観を叩きつけて、最後はシンプルに美しいバラードの「未来」で締めくくる。その落差はあまりにも凄すぎて初めて聞いたときは唖然としました。滅亡を期して叫ぶ禍々しい「惑星メランコリー」ではじまって「未来」で終わるのもまた凄いのですが、さすがの終盤の展開には叶わない。一つの作品でここまでの振れ幅があるのか、と音楽性の豊かさが凄いとかそういったレベルではなくて、ひとつの作品にここまで豊穣な感情が詰められるのか、と人間の深淵さに感動されるような印象です。衝撃的でした。




 といっても、個人的には序盤の展開も捨てがたいです。オープニングの「惑星メランコリー」で人類を滅亡させといてから、自転車で駆け抜けていく清々しさ、眩しすぎる希望に手を伸ばすことを歌った「光の結晶」があり、そして次の「孤独の戦場」では人間の醜悪さを軽やかに暴いていく快曲。個人的な思い入れを抜きにしても、こういうアルバムだ!って一律に説明するのが難しいです。繊細で感受性の高い人間の瞬間、瞬間を抜き取ったようなアルバムです。これくらい大げさで過剰なくらいがリアルなんです。きっと。

 そして、中盤。ハーモーニカの音色が綺麗で牧歌的に「花びら」に並ぶのは、ファズをかき鳴らして妖艶というか性興奮を歌い上げた「プラトニックファズ」。どこまでもアンバランス。そして個人的に素晴らしいと思うのは「生命線」。シンプルなバンドアンサンブルが生み出す緊張感のなかで、イキルサイノウなんて関係なくて、滾る生命の力強さを叫ぶ曲。その熱量と真剣さにひたすら圧倒されます。
  



 レビューしてみて思ったのが、このアルバムは思ったよりも曲者のようです。THE BACK HORNしか作れないというよりかは、THE BACK HORNしか作らない。そんな過剰なアルバムです。濃い、非常に濃いです。何よりもボーカルの表現力がそれを成し遂げているようです。ハマってしまうとどこまでもハマってしまいます。素晴らしい。