単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORNの「イキルサイノウ」がマニアックヘブンの投票で一位になった話

 
 THE BACK HORN、マニヘブで再現するのは「イキルサイノウ」 

 今回の「マニアックヘブン」の企画は、数年前の「何処へ行く」の完全再現ライブにアイデアを得たのか、ファンからの投票を募ってそこで一位になったアルバムを完全再現するというものでした。それで選ばれたのが「イキルサイノウ」でした。

 「イキルサイノウ」が制作された時期っていうのが、すばらしい「THE BACK HORNの世界」によると、この作品の中核である菅波栄純は父親を亡くして躁うつ状態になっていて、また、山田将司は楽しくなくひたすら苦しかったと語っていたり、岡峰光舟がメンバーとしてようやく正規加入しばかり、といった葛藤ある時期だったようです。それでアルバムのリリースツアーに「絶望アッパーカット」という象徴的なタイトルが付けられています。菅波栄純の有名なエピソードのひとつである、渋谷の路上でホームレスをしたというのも確かこの頃の話。私から見ても、このアルバムはTHE BACK HORNの岐路になった作品だとおもっているので、なんというかこのアルバムが選ばれたのは感慨深いものがあります。

 まあ、今回の結果はおおむね予想どおりといったところ。今回の投票は、おそらく「好きなアルバムに投票する」というよりかは「ライブで聞きたいアルバムに投票する」という側面が強いので、そうなったらライブであまり演奏されない曲が多いアルバムが上位にくるとおもっていました。「イキルサイノウ」は、最近たまに演奏されるようになった「ジョーカー」と「未来」を除けば、ここ数年で演奏されることがない曲ばかりですから。「惑星メランコリー」や「プラトニックファズ」そして私が愛する「孤独な戦場」は、頻度でいえばはぐれメタル並みのレア具合。私は、好きなアルバムといえば「人間プログラム」と「ヘッドフォンチルドレン」の二つが頭一つ抜けていますが、ライブで聞きたいアルバムとなると「心臓オーケストラ」か「イキルサイノウ」の二つになりますし、最終的には「イキルサイノウ」を選んでいたとおもいます。


 というか、そういった打算抜きでも「イキルサイノウ」は人気なアルバムなのでしょうね。愛は地球を救わないかもしれませんが、「イキルサイノウ」に救われた人は多いとおもいます。ジャケットから曲順までひっくるめてすばらしいアルバムですし、かくいうわたしも好きなアルバムです。というかまあすべてのアルバムが好きなんですが。

 基本、THE BACK HORNは混沌とした感情の混合物を掬いあげているバンドで、多くのアルバムで振れ幅に富んでいてそれが人間の多面性を感じさせる魅力になっているのですが、その点で「イキルサイノウ」というアルバムはもっとも振りきっているアルバムだといえます。いや、振りきってしまったといったほうが正しいのかもしれません。

 なにせ、流れでみれば、序盤は宇宙を舞台に人間の原罪を告発する「惑星メランコリー」から近所の商店街を自転車で駆けぬける「光の結晶」で始まり、終盤は極限状態の感情が込められた「ジョーカー」から儚い恋模様を繊細に歌う「未来」で終わるといったもので、スケール単位でも感情単位でもその振れ幅は半端ではありません。サウンドもテーマに呼応していて、グランジやバラードと多種多様。そして、それらすべてが人間の営為であり、「イキルサイノウ」は良いも悪いも汚いも美しいも含めて人間を描き切った傑作だとおもっています。過去のレビューの繰り返しになりますが、「ひとつの作品にここまで豊穣な感情が詰められるのか、と人間の深淵さに感動してしまう」って作品。ほんとすごいです、このアルバムは。毒にも薬にもなりますし、その効き目はいずれにしても文句なし。

 ちなみに、過去のアルバムレビューはこちら「開花したアンバランスな才能が描いた悲しい世界 THE BACK HORN「イキルサイノウ」
  
 
 あと、クリスマスのころに「イキルサイノウ」ってのがまたいいですね。この作品にはTHE BACK HORN唯一のクリスマスソングの「羽根~夜空を越えて~」があって、ラストを飾る「未来」もこの寒い季節にピッタリなのでタイミング的にも相応しいとおもいます。

 アルバム完全再現のすばらしさは「何処へ行く」で堪能していたので、今回のマニアックヘブンもすばらしいことになるのは間違いなく是非とも参加したかったのですが、それは叶いそうにありません。
 そもそもがわたしは怠惰で臆病で、何かを始めることには足取りが重いのにもかかわらず、最近はようやく手にすることができた仕事をすぐに辞めることになったりと、何かをしないことには足取りが軽やかであって、そんな人間は労働市場に必要とされないのは自明で、だからといって労働を避けて生きていく術があるわけでなく、つくづく自分にはイキルサイノウがないという。しかしそれもおもうだけで満足し、反省がないから改善もない。いずれ近いうちに物理的な意味で居場所なんてどこにもない、ってことになりそうです。それはともかく、ひさしぶりに「イキルサイノウ」を通しで聞いたらやっぱりすばらしかった。それが書きたかったのでした。