単行のカナリア

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生を希求する歌の想像力が羽ばたく/THE BACK HORN「情景泥棒」全曲レビュー


 わたしがTHE BACK HORNが好きな理由が「情景泥棒」を聞いてあらためて分かった。よく分かったので全曲レビューを書く。
  
 THE BACK HORNが世に放つメッセージはどんどん分厚くなっている。初期は「生きたい(ときにだから死にたい)」から最近では「生きよう」まで生について死を交えて歌にしてきたわけだけど、今作にいたっては「死なせない」ぐらいの領域に至った。

 そしてそのテーマは逃走から情報泥棒野郎との闘争まで多岐にわたる情景のなかで伝えている。過去に彼らがテーマにしてきたものを継承しながら、今作ならではの巨大な想像力をもって伝えている。そしてサウンドマリンバエレクトロニカを取り入れて最高にタフでハードに仕上がっている。ようするに情景泥棒は最高なので全曲レビューで語りたい。


1.Running Away  
今やお馴染みになった合唱からマリンバを響かせ、静かに熱を溜めながら爆発力があるサビに持っていく。マリンバの光がぽつぽつ灯るような音色が映える、それぞれのパートごとのギアが切り変わるダイナミックな構成のオープニングナンバー。開始、即逃走。
 
人間の脳の根っこの部分にある大脳基底核は基本的には「逃走」か「闘争」のモードを選択する。タイトルのRunning Awayは「逃走」と訳すのが普通だけど、生きるための逃走ならば「闘争」にだってなりうる。がんじがらめの状況で巻きついた鎖を断ちきって逃げだすことはエネルギーいるから、本気だして逃走して生きていこうよと強烈なメッセージがサウンドと共鳴しあっている。

歌詞は力強くて優しい。「まだ不完全」と「中途半端じゃない、まだ途中だから半端」は始まりでも終わりでもない旅路の途中を強調している。いまはまだ道半ばで、いまは逃走のとき。ときに人生にはそういうステージがある。

で、そのステージを乗りきってから前を向こうというわけで、道半ばの逃走から未来への志向までをひっくるめているのがRunning Away。
特にいいフレーズが「思いがけない未来でまた笑おう」ってとこ。頭に思い描いている未来が最悪だったとしても、「思いがけない未来」は最悪じゃないかもしれない。その絵空事を描いて生きてたどり着くため逃走。逃げるのはけっして簡単なことではなく手助けと覚悟だっている。勇気が欲しいときはこの曲が支えてくれる。

逃走って大体は一人による行為なのにTHE BACK HORNはシンガロングパートを取りいれるあたり「みんなで生きていこう」との思いが伝わってくる。生を推奨することはときに無責任になるが、思えば彼らはずっと共に生きようと歌いつづけてきて、彼らはすでに十分なほど責任を引きうけていた。



2.儚き獣たち
「俺たちはここにいる」と何度だって歌いつづけるのがTHE BACK HORN
気持ちを伝えるために変奏しつつも何度でも歌いつづけていく意志は揺るがない。

冒頭の不気味な域まで達したベースラインからはじまり、パートごとに静謐さと疾走感を繰りかえたあげく(ベースが暴れながら)、転調を多用し、中盤からさらにうねりだしてスケール感を広げていく。で、最後はまたTHE BACK HORN節が詰まったバンドサウンドと言葉で締めくくる。

この曲はCメロからの展開がマジで最高。人間プログラムの歌詞を彷彿とさせながら、「最悪だったね生きていて良かったよ」と過去に向けてかける言葉はひたすらに優しい。生きることは厳しいからこそ儚く良かったといえるわけで、つまり生の難しさを認めつつも、ここに俺たちがいると寄り添ってくれている。
生きるか死ぬかの話になったときは人間ですら儚き獣のような存在になる。「生きてる奇跡の夜がここにある」だってけっして大げさじゃない。生存はひとつの意志表示であり、彼らはそれを全力で肯定している。


3.閃光
村上春樹の「ハードボイルドワンダーランドと世界の終わり」って小説で、「限定された人生なら植福することはできるのでは」と問いかけがでてくる。限定された人生を閃光に当てはめてみるならば、人生からある瞬間を切り抜くことであり、つまりはリアルでしかない現実から閃光のごとく一瞬の輝きを見だすこと。
一瞬を切りとる、それはけっして簡単ではないと分かっているこそ曲にして伝えるのだろう。

Running Awayの「逃走という闘争をしよう」から儚き獣たちの「儚いけれど生きていてよかった」から閃光では「一瞬の輝きを見いだそう、一瞬の輝きなら祝福できるから」と移りゆく。

シンプルかつ哀愁溢れるメロディーで、癖のある曲が多いアルバムだからこそ映える曲。3分ごろからの合唱パートでいったん静かになってから、また熱量を取りもどしていくところが実に爽快だし、最後にギューってグリッチ音から鮮やかに終わる展開も最高。
「情景泥棒」を何度も繰りかえして聞いてしまう理由のひとつは、序盤のストレートなメッセージ性から後半のカオスな曲になだれ込む構成の妙があるとこ。

「現実はどうしようもなくリアルでドッキリの看板を持ったやつが出てくるわけでもねえ」はまさに菅波栄純らしい表現で、また「気分は良いな疲れてきってんのになんか生きているって感じだ」と心地よい一瞬の表現も彼らしい。
「知らねえよ 正しいか」「知らねえよ 意味なんか」と歌詞にあるように一瞬の心地よさは正しさや意味の外からやってくる。「この曲のここがいい」ってときだって同じことで、閃光の合唱からのパートはまさにただ聞いていて胸が熱くなる一瞬がある。

望めば物語は続いてしまう。一瞬で消えてしまうどうしようもないリアルでも、いい感じの一行くらいは出会えるだろうし、それをけっして忘るなと優しいけれど強さもまたある。



4.がんじがらめ
で、がんじがらめから情景泥豪のカオスティックさが全開になっていく。

THE BACK HORNの魅力にカオスな曲があるのはまちがいなく、この曲はその路線を継承しつつそれぞれの楽器パート全体でカオスさを演出しつつ、口語表現の生々しさをうまく取りいれている。ぐちゃぐちゃしている感情の手ざわりがすごく、聞いているだけで何度もゾクッとくる瞬間が多い。最初の気味悪いボーカルとラストのブラスのような潰れた音も幻惑的で魅力的。

感情の出口を求めてうごめきつづけるバンドサウンドがタイトルの「がんじがらめ」を象徴していて、曲と詞の合わせ技によるもがくことの表現力に圧倒される。生まれた時点で終了ときわどい信念までカバーしていて相当に重々しいテーマではあるが、曲のカオスさが突きぬけているせいかもはやポップさすらある。

「一度ミスったら即終了」と何度も歌いながらも「勝手に終わらすじゃねえクソがあああああああ」ともう自分でも訳わかんなくなってるほどにがんじがらめ。その訳わからなさ感が分かりやすいのは表現力が極まっている。これがTHE BACK HORNなんだよ。

薬物中毒やギャンブル中毒などの依存を治療するとき、だいたいが依存先を健全な対象に依存しなおすことで治療するわけで、がんじがらめではラストに「君」に依存しようとしている。カオスな曲の顔をしながらこっそり生きる方向へ導こうとしている。これが菅波栄純なんだよ。




5.情景泥棒
プラネテスって漫画で「全部俺のもんだ!孤独も苦痛も不安も、後悔も!」ってフレーズがある。情景泥棒では、情景を泥棒しようとする不届き者に「切なさもトラウマもときめきも全部俺のもん」と守りぬく戦いのストーリー性がある曲。

奇妙に歪んだギターノイズから遊びすぎてる加工音まで想像力の羽を伸ばしすぎてどっかいっちまいそうなバンドサウンド、それを直情的なスマートなサビによって一瞬でTHE BACK HORNらしさに着地させる力技が冴えわたっている。

なにより「情景泥棒」から発展させた設定がおもしろい。詞を読み解くのが楽しくてストーリーテラーとしてのTHE BACK HORNの魅了を十全に味わえる。
「そっちが高値がつくから軽く盗みにきたんだろう」と未来では情景に希少価値がついていることが分かり、「情景利用の自慰行為は回想法違反にあたるぜ」と他人の情景をいじくりまわして自分の欲望を満たそうとすることを警鐘する。

SFは大体が現実に照らすことで教訓を得ることができる。情景泥棒では情景に盗む価値があると設定することでときにはトラウマですら価値あるものだと歌う。まあ現実ではそれらの情景をいい感じにパッケージしないと売り物にはならないけど、未来ではなにかが代わりにやってくれて価値がつきやすいのだろう。
だからこそ切なさも悲しみもトラウマも奪われるな守りぬけって話で、SF的ながらも深刻なテーマになっていてすばらしい。私の数年前にベッドに転がりつづけた虚無と苦痛を行って戻ったときの情景だって未来では売り物になるんだ、そう考えると愉快さがある。災厄まみれの人生で心に浮かぶ情景すべてに価値があるんだ、と生きることをひたすら肯定していく恐ろしい曲。


6.情景泥棒 時空オデッセイ

2部構成、今度は未来から情景を泥棒しようとするやつをテーマにしている。「情景泥棒」の表と裏を描くことで世界観がより強固になっている。今作のハイライト。

前曲に負けず劣らずの重層的なバンドサウンド、終盤の歪みそのものを体現しているギターサウンドが印象的で、そっからギターソロになだれ込んでフェードアウトしていく目まぐるしい情景が広がる。前半の打ちこむのポエトリーディング調から「そしてビックバン」の言葉をきっかけに展開していく構成もまた想像力を刺激してくれる。その裏でずっとグワングワンしているベースがまたよくて。


「水槽の脳」が現実化した未来で肉体から解放されて平穏を手にいれた未来人。しかしただ平穏なだけの退屈さには耐えられない。生きることを肯定はすれど、ただ生きているだけではつらいと。じっさいに人間を退屈させると自傷をはじめるという実験もあるし、退屈さに比べたら痛みや苦しみだってあったほうがいいのだろう。だけど盗むな。

「壊れながら生きろ」「もがきながら生きろ」はTHE BACK HORNがかねてからテーマにしつづけたことで、今まではたとえ「壊れそうでも生きていこう」というテーマだった。今回は設定そのものが未来の話で、無情景のヤバさに飲みこまれないように「壊れながら生きろ」と一歩踏みこんでいて、よく目にするようなテーマだけどよく目にしない設定のおかげでまた違った見方ができる。

情景泥棒二部作は興味深い。わたしはTHE BACK HORNと共に生きつづけてテーマの移り変わりを共にしてきたわけだけど、ここでついに想像力の射程を未来に伸ばしてみることで「数百年後のTHE BACK HORNならこんな曲を歌うだろう」と想像できるおもしろい曲に仕上がっている。着想からおもしろくて当然その結果もまたすばらしい。

「俺たちはここにいる」とか「僕らはいつだって一人じゃない ここにいるよ」と歌いつづけてきたバンドが「ここはどこだ?」を歌うとは想像していなかった。THE BACK HORN、たまに俺のこと歌ってるの?と思っちゃうくらい寄り添ってくれて、その表現力ってこの果てしない想像力の産物だったんだなと思った。共感だけではけっして届かない領域でしょう。人間プログラムを初めて聞いたときに感じた「知らない世界がある」と感動を思いだした。

あとSF大好き人間なのでグレッグ・イーガンの「しあわせの理由」と合わせて聞くとさらに体験を深められる。幸福合成装置によって強制的に幸福を感じてしまうようになった主人公の話で、痛みやトラウマを泥棒したくなるこの曲の主人公の気持ちが分かる。


7.光の螺旋
THE BACK HORNは最後の曲が疾走感ある曲のアルバムは名作の法則。最後の曲がバラードでも名作なんだけど、ミニアルバムながら濃厚なメッセージと世界が描かれたあとの「光の螺旋」は締めにふさわしく、そして情景泥棒は名作として完成される

サウンドはメタリックなギターリフを軸に走りつづけて小休止の間奏を挟みまた加速していく。歌詞は「共にいこう」「立ち止まるな」「突き破れ 孤独の闇も」。とTHE BACK HORNの最近の路線といえばまさしくこれといった集大成の曲。前作「運命開花」にありそうな曲だけど、情景泥棒のラストで「まだ始まってねえよ」と聞くといっそう言葉が大きくなる。よそ見しているときに口に投げ込まれたようなもんで力強い言葉を飲みこまされてしまう。誰も彼も力強くなってしまう。

光は直進する性質上から螺旋を描くことはない。20年間もバンドやりつづけてきたのに「まだ始まってねえよ」の歌詞。これらはおかしな話だけど、生きることだって矛盾を抱え込んでやっていくわけでそういうの引きうけてやっていく強引さが必要になってくる。
だからTHE BACK HORNが持つ力強さに感化されることは、無理しないとやっていけない生きることの支えになってくれるのだろう。ライブで「生きてまた会おう」と彼らがいうのは心からの言葉であり、彼らは最高のアルバムを通じて生を肯定してくれる。

菅波栄純の言葉を借りるならば、速い、熱い、泣ける。そんな曲。


総評
俺とTHE BACK HORNで書いたようにわたしの人生はある時期からTHE BACK HORNと共に歩みつづけてきた。正直なことを書くと、一時期はわたしの心情の変化もあり彼らが放つメッセージと相いれないこともあった。しかし前作を機にTHE BACK HORNはすばらしいバンドだと再確認し、そして今作の「情景泥棒」を聞いてこれからもすばらしいこのバンドと共に歩みつづけるのだろうと確信した。

人生に数少ないひとかけらの輝き、その一つはこのアルバムであり、THE BACK HORNと出会えてライブに行って日々曲を聞いてるときだ。限定された人生ならば、もしくは閃光が光る一瞬ならば、心に嘘をつかずに祝福することができる。そのためにどうすればいいのか。それだけで生きていけるのか、最近はそのことについて情景泥棒を聞きながらよく考えている。

10年以上前に出会って好きになったバンドの新作が生きていて楽しみでいられるってことがどんだけ奇跡なことなのかあらためて実感した。情景泥棒、THE BACK HORNがかねてからテーマにしてきた命の生かし方の集大成だろう。生かすことは途方もなく難しい。それを分かったうえで挑みつづけるその姿勢を尊敬している。