単行のカナリア

感じて想する

THE BACK HORN名曲レビュー「カナリア」

 

運命開花【通常盤】(CD)

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 THE BACK HORNの名曲レビュー「カナリア」。『運命開花』に収録。山田将司作詞、岡峰光舟作曲。以前は、全曲レビューのタイトルで記事を書いていましたが、気にいった曲を語る名曲レビューにタイトルを変更してつづけていきます。

 「カナリア」は、ライブのMCで山田将司が口にする「生きてまた会おう」という約束の言葉をそのまま曲にすればきっとこんな感じになるんじゃないかなって曲で。つまりは真っすぐ。メタリックなギターリフ、パンキッシュなリズム隊はシンプルな力強さに溢れていて、そのなかで「生きてまた会おう」というメッセージを情緒ある風景とともに歌詞に落とし込んでいます。

 今作についてインタビューで語っていたことに、

うまく生きていけないのはお前もオレもそうだ、でも涙がなくなるまで泣き続ければ、いつかきっと生きててよかったと思えるんじゃないか、だからあきらめずにいこうっていうまっすぐな気持ちですね。

 とあって。ただただまっすぐ。青春パンクのように鮮やかで、ハードメタルのように鋭く、前のめり気味のバンドアンサンブルからまるで一本の矢のようなイメージすら湧いていきます。というか、やっぱり「それでも生きてまた会おう」の具現化ってのが、わたしの感想のすべてになりそう。
 
 で、「カナリア」にはおそらく「炭鉱のカナリア」のモチーフが添えられています。
 説明のためにwikipediaから引用します。ひらたくいえば、「炭鉱のカナリア」は「危機に陥ると鳴き声を止めてしまう」というモチーフ。

 カナリア

  いわゆる炭鉱のカナリアは、炭鉱においてしばしば発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報として使用された。本種はつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止む。つまり危険の察知を目と耳で確認できる所が重宝され、毒ガス検知に用いられた。
出典: カナリア-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 というカナリアの習性を踏まえて、サビの「鳴けよカナリア達 声が千切れるほどに 生きてよかったと思えるさ いつの日か」を聞いてみると、わたしには「鳴けよカナリア達」の前に「それでも」という接続詞が含まれているように思えます。

 この逆説の接続詞にかかっている言葉は、例えば「今はまだまったく生きていてよかったと思えないこと」や、「友よ今 さよならと旅たちへの言葉 」と歌詞にあるように、勿忘草が咲き誇る春という季節につきものの別れや旅立ち。また、悲しみや傷跡、どこかに置いてきた忘れ形見や、声を上げるすらできないほどの恐怖、そして泣くすらかなわないほどの巨大な苦しみなど、つまりはうまくいかなさ。

  このような、生きていくことを諦めさせてしまいかねない息苦しい空気が蔓延している。それでもカナリア」では「それでも声を上げろカナリア達」と歌うわけです。まるで過去すべてを引きつれて一歩前に進むような、そんな力強さで。

 もちろんそれはけっして簡単なことではではない。もし「カナリア」がそれこそ「炭鉱のカナリア」だったならば、危機的状況においては声をあげて鳴くことはできない。そう信頼されているからこそ、毒ガス検知器として利用されていた経緯があるから。 

 しかし私たちは「カナリア」ではありません。
 「炭鉱のカナリア」のモチーフを私たちに当てはめても、私たちは危機的状況でも声を上げることができる。容易ではないが、不可能ではない。恐怖におびやかされ、苦痛にまみれているときにでも、隙をみて声をあげることはできる。そのとき助けを求めることができればベストだけれど、それができなかったとしても苦しいときに「苦しい」と声にだせる。いや、「カナリア」になぞっていうならば、むしろ声をあげる意思を持てという話でしょう。

 正直なところ、わたしは「生きろ」と言われたくない。どれだけ死を願っても生きてしまっているように、身体から環境のありとあらゆるところに「生きろ」というメッセージが散在している。しかし、THE BACK HORNは「生きることは困難だ、それでも」という視座に立ったうえで「生きてまた会おう」と歌っている。さらにはTHE BACK HORNは生と死をテーマにしつづけ、これまで「生きよう」だけではなく「死にたい」という感情も歌にして届けてくれた。

 だから「生きてまた会おう」という言葉はそれのみで成りたっているわけではなく、「生きてまた会うのは簡単ではないけれど」と繋がることで意味を成す。ようは、彼らが連綿とテーマにしてきたのは「生と死」って話ですよ。だから、「生きてまた会おう」は「生きろ」とは似ているようでまったく違う。強制ではなく、約束だから。

 わたしもたえず死にたいと願いつづけているわけではないし、だいたいが死にたいが勝っているが死にたくないもあるにはあるわけで、それらがぐるぐると頭を駆け巡りつづけているときに、生に繋ぎとめているもののひとつがこの約束の言葉なのかもしれない。わたしはいい加減いっそ死んだことがよりよい生き方なのではないかと考えつづけているのもあって、ともすれば「生きてまた会おう」は呪いの言葉でもある気もしてくるが、でもまあTHE BACK HORNは「俺は俺のままで いつでもお前の側にいる」って曲にしているからこの呪いなら引き受けてもいいと思えます。

 2020年の2月まで生きていればライブのチケットを買ったらに彼らに会いにいって、もう何度目かになるか分からない「生きてまた会おう」の約束を果たすことになる。この約束は、できることならばこれからも守っていきたい。