単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

お知らせ全集、タイトルとURLと活動休止(他)と今後について

 お知らせ全集。

タイトルについて

 タイトルを「単光のカナリア」に変更しました。

 そもそも以前の「炭鉱のカナリア」 をつけた理由は、苦痛と不安が跋扈していた人生においてなぜ自分が生きのびたかを考えたときに危機察知能力をもってして逃走をつづけてこれたこと、そしてその生きざまがまるで「炭鉱で危険センサーとして利用されるカナリア」に共通するものがある……と考えたからです。

 この考えはいまでも変わっていません。
 わたしの危機察知能力は不安のメッセージを連投しつづけてわたしを苦しめますが、同時に不安のメッセージを受けとって逃げることでわたしは生きのびることができています。「炭鉱のカナリア」は経済や政治の話題で使用されることが多いですが、わたしはカナリアを人生の象徴のように受け取っています。

 変えました。「単光のカナリア」にしたのは、「炭鉱のカナリア」が使用されるときが政治的や経済的の文脈が多く、自分のブログタイトルはそれらの話題に触れないので適さないと思ったから。単光にしたのはTHE BACK HORNの「閃光」からイメージして付けました。
 つまりは、言葉遊びですね。単行が「ひとりで行くこと、ひとり旅」との意味があるらしく気に入ったのでさっそく変更しました。カナリアは変えません。カナリアいないと困るので私のなかで飼いつづけます。

 いまでもカナリア達を飼いならすことはできませんが、それでもうまく付きあっていけるようになっています。正直、カナリア達が好きか嫌いかでいえば嫌いなんですが、さすがにこれだけ付き合いが長くなると諦めがついてきました。

kindle

 「本は紙で読むのに限る」と息巻いてていたのは数年前の話、いまはすっかりkindleで漫画や小説を読んでいます。特に1巻だけのお試しがよくあって新しい作品と出会えること、実用書を選ぶときにサンプルが読めるところが便利。キッカケは「電気サーカス」という小説がkindleでしか手に入らなかったのでそのために購入し、それからハマっています。本棚がもういっぱいいっぱいですし。おかげでまた漫画めっちゃ読むようになり預金残高が減りつづけています。思い出は増えます。
 
 ちなみに、そのうち読もうでずっと後回しにしてきた、鉄風ゴールデンゴールドワールドトリガー鬼滅の刃、彼方のアストラ、刻刻プリンセスメゾン、ふたりモノローグなどを読みました。
 

URLについて

 ブログのURLは前に読んでいたティム・オブライエンの「ニュークリアエイジ」からとって改変したものです。この小説は、明日にでも核の時代がやってくると不安に取り憑かれた男が主人公の物語で、自分のなかのカナリアに「核の時代がやってくるから穴を掘りつづけろ」と囁かれて家族を犠牲にしてまでひたすら穴を掘りながら人生を振り返る、そして最後に決断する……という小説。

 この小説で気に入っているフレーズがあります。

 「そして世界は確実に終わるだろう。僕にはそれが分かっている。でもそれ以外のことを信じる」

 と男が最後に語った言葉。男は核の不安を内面化しきっていて結局はどうやってもそれを否定することはできない。それでもそれ以外のことを信じようとする姿勢。
 この言葉は突然登場し、一貫性はなくストーリーに必然性はありません。その小説が示すように、ニュークリアエイジ(カナリア達が鳴きやむ時代)において生きることはまさしく非論理的で矛盾そのものだ……という点が心に響きました。

 わたしはカナリアに唆されて穴を掘りつづけてしまうわけですが、それでもそれ以外のことを信じることもできるわけです。いや、信じることができる。そう信じたい。そのような思いもあってタイトルのURLを変えました。
 
 とか書いたけど、前のURLが意味不明だったのが一番大きいです。久しぶりにブログを見なおしたときにnarasaki-sikariのsikariってなんやねん!って自分にツッコミましたから。9年前の自分のことよく分かりません。

ロクトシチ、きのこ帝国が活動休止した

 ロクトシチというバンドが好きでそのうちライブに行こうと思っていたら活動休止しました。ロクトシチは、90年代のハードコア勢―COWPERS、キウイロールNAHT―を彷彿とさせるノイジーなバンドサウンドで気に入っていたのに。ほんと、何度この「そのうちやろうのそのうちが一生こないパターン」を繰りかえすんだ私は。こういうことあるたびに「お前に後悔する資格すらない」と自分に言いつづけているけれど改善されない。まあ気持ちで気持ちはなかなか変わりません。




 きのこ帝国、1stで衝撃を受けてすぐライブに観にいって最高で(しかも対バンがbloodthirsty butchers)、2ndが出てまたライブに観にいっていたので(しかも対バンがLOSTAGE)、活動休止はショックだけれど後悔するショックではありません。私がきのこ帝国で一番好きな曲は「春と修羅」で、一番好きなアルバムは「ロンググッドバイ」。私の信念のせいか、アルバムは悲しければ悲しいほど高評価しちゃうんだけど、「ロンググッドバイ」はポップなのにもっとも高評価で、感情の方向性とか関係なくいい曲はいい。「春と修羅」は金属バットを苛立ちの象徴になっているのでいい。

 人生、好きなものが多くなるほど活動休止と出会ってしまうわけですが、最近は「Syrup16gも、それにNUMBER GIRLも再開したんだから」と心強い言葉があるので動揺することが減りました。

今後

今度の予定
  • Syrup16gの全曲レビューをコツコツやる、でも義務感でてきたら休み
  • まとまった時間がとれたらCROSS†CHANNEL(最近また再販された)をプレイする
  • 気になっている漫画をいっぱい読む
  • 夏がやってくるので生存第一、駄目そうならそれはそれでOK
  • 書きたいときにブログを書く
  • ツイッターを更新お知らせbotにならないようにする
  • コミュニケーション全般やる、人間関係をすぐに諦めない

 私の中にあった怒りや苦しみなどのかつて原動力にしていたガソリンが揮発してしまった。消えたわけではない。以前はひとまとまりのコールタール状の液体として存在していたけれど、いまは脳全体に拡散されてしまってガソリンとして利用できなくなってしまった。希釈された。

 さらに鈍くなることで生き延びる方向に舵をとったせいで、現にどんどん鈍化していって感情の機微に気づくことが難しくなった。加齢にともなう変化でもあるし、服用しているSSRI(MAX量)の影響もたぶんにある。そのせいで書くための原材料(感情)が少なくて書くことが難しくなってきてる。全曲レビューを書いているときに感情が希薄になっていることを痛感した。

 まあでも、ずっと鈍化して痛みや苦しみから逃れたいと望んでいたわけで、望んだとおりになっているからこれはもう仕方ないと思っているし、むしろ有り難い。

but

 しかしどれだけ鈍くなって感受性が衰えても許せないことがある。これまで多くの小説、アニメ、マンガ、映画などの作品を見聞きしてきたせいか、新しい作品に出合ったときに既存の認識パターンで処理して、既存の感情神経を発火させるだけで終わってしまうことがある。その適当さは許せない。

 だから抵抗するために考えて文章を書いて探して感情を掬いあげるのは大事だと思いなおした。
 それもあって最近は、プリティーリズムレインボーライブ、キングオブプリズムといった今までだと絶対にスルーしていた作品を見たり、1巻だけ無料マンガを無差別(少女漫画、スポーツ漫画、インディーズ漫画に関係なく)に読んだりして、感性に刺激を与えている。

 まあ言語化は大事だとしてもべつにブログで書く必要性はないんだけど、せっかくブログあるわけだから共有するのはありだと思うから、そういう感じでやっていければいいなーと思っています。それに久しぶりに更新したときに読んでくれている人もいるみたいだし、今では冗談抜きで一人にでも読んでもらえれば書いてよかったと思えるようになりました。ので書いていく。つもり。