単行のカナリア

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Syrup16gの曲レビュー「空をなくす」と無力感/ソラナックス

 

coup d'Etat【reissue】

coup d'Etat【reissue】

 

 
 Syrup16gの曲レビュー「coup d’Etat~空をなくす」。先に書いておくと、途中から「無力感」と「ソラナックスとヒップホップシーン」の話へと脱線していきます。

 

 「空をなくす」はsyrup16gが大文字の3ピースオルタナティブロックバンドであることを体現しています。 
 硬質なギターバッキング、主張の強いハイフレットでうごめくベースライン、16ビートのハイハットの細やかな刻みといった、開幕から尖りに尖ったオルタナティブロックサウンドが降り注がれる。高音域のスケール内を煽情的なバンドアンサンブルで埋め尽くし、それはまるでポケットに隠したナイフのごとく鋭さが際立っています。

 「今さら何を叫ぶよ」「上なんて何も無いけど」「まだ飛べるよどこまで?」「空しい祈りをこめて」と羅列される歌詞は無力感と、その空白を埋めつくす殺意で充満しています。それは「ざらつく舌の上に溶けゆく日々とからっぽの心」、「空しい祈りを込めて邪魔はするなと運命にクギを刺すが」からもうかがえる。

 『coup d’Etat』にはアグレッシブな曲が多いなか、「空を亡くす」は暴力性が全開になっていて、詞もサウンドもキレにキレている。「キレッキレ」の形容詞がよく似合いますね。「塾から帰る子供のでかい態度に殺意すら覚え」と具体的な対象にもキレているし。

 で、わたしは「空をなくす」を説明するのに大事なキーワードが無力感じゃないかとおもっていて、ここからは無力感について詳しく書いていきます。よく怒りは二次感情であると言われるように、「空をなくす」の攻撃性は無力感から生じたものではないかと。 

 『無力感は狂いの始まり』から引用。

俺の考えではね、世の中の狂った事件、妙な出来事を理解する上で、一番の根本にあるのはまず、無力感じゃないかと思うの。劣等感とか、他にも色々と要素はあるけれど、もっと深いところにあるのが無力感。それをいかに乗りこえるか、あるいは、ごまかすか、その営みが人の有り様なんだと。居直るやつもいれば、そのままヘタるやつもいる。頑張るやつもいるしね。
(中略)
無力感はもっと大きく、漠然とした壁。つまり人間ってさ、決して思い通りにならないわけでしょ。諦めや挫折は常に経験するわけだし、絶対に抗えないものは存在する。それを認めるかどうか。あるいはごまかすかという話。
「無力感は狂いのはじまり」 p35.36


 「空をなくす」では運命、そして神の声(カルマ)といった外因由来の無力感がまずあって、しかし無力感にヘタるわけではなくごまかすわけでもなく、真正面から受けとめている。身を逸らしてはいない。だからってすんなりと無力感を受けいれられるわけはなく、そのときの内面に生じる葛藤を外側に向けることで、「空をなくす」に通底する暴力性/高揚感が生じているのではないか。とか考えていました。

 というかそもそもの話、無力感と向きあうのはめちゃくちゃしんどい。降伏したいのにもかかわらず、悲しい性のせいに「もっと上へ」と要請されてしまう。ほんとうにつらい。致命傷をうけないために予防線をはるけれど、その予防線ですら自分に傷をつけていくという。そりゃあキレるとおもう。こっちは現実と折り合いをつけるために吐きそうになってるのに、横に素敵な未来があるみたいな偉そうな顔したやつがいたら。相手からすると、ひどい話とは分かっていても。

 とうの「空をなくす」の最後は「今は飛べるよ、まだ飛べるよ この空をなくすまで」は、条件付きではあるが、どうにか無力感と折りあいがつけられような言葉を残して終わります。どうにか、というのが大事で、ぎりぎりといってもいい。

 さて、ここからは話を変えて、ソラナックスの話へ。 

 「空をなくす」、精神安定剤ソラナックスのもじりとよく聞きます。このソラナックスは、デパス亡きいまでは不安障害・パニック障害時の頓服として処方されることが多く、私もそのジェネリック薬剤を服用しています。手元にある処方箋には「不安や緊張をやわらげたり、寝つきをよくする作用があります」と説明書きがあります。

 で、このソラナックスアメリカではザナックス(Xanax)の名称でレクリエーション目的で流行っていて、2017年にリル・ピープが鎮痛麻薬のフェンタニル抗不安薬ザナックスの過剰摂取で死を迎えたケースもあり、その後ザナックスをテーマにした曲が増えているという。とくにエモラップ/グランジラップといったシーンを中心に、ザナックスをそのままタイトルに付けた曲が増えているようです。

 例えば、こんな曲。

ザナックスとアメリカのティーンエイジャーたちの抗不安|柴 那典|note


XXXTENTACION - Xanax

 


Billie Eilish - xanny (Lyrics)

 

 ソラナックスをもじったといわれる「空をなくす」は2002年にリリースされたアルバムに収録。海外のヒップホップシーンで取り上げられるようになるまで15年以上も前の出来事。わたしはXXXTentacionやVince Staplesなどのグランジラップを気に入っているのもあって、思春期には知る由もなかったSyrup16gの言葉遊びが現在のヒッポホップシーンと接近したことに不思議な気分になります。

 

 といっても、「空をなくす」のもじりは言葉遊びだから、そこに意味を見いだすことができるし、また無視することもできるわけですが、わたしはわたしの好きなようにSyrup16gを聞いてしまっているなあとつくづく思う。

 ただわたしは過去に「メンタルヘルスSyrup16g」に書いたように、言葉遊びをそのままで受けとって意味の多義性を保留しつづけていくのと同時に、自分の心情に寄り添うように視野狭窄になってのめり込みたいとも思っていて、身勝手になってしまうからこそ慎重になりたいと考えています。「空をなくす」の言葉遊びは関心のど真ん中で、関係ないテーマにこじつけてしまったけれど。

メンタルヘルスとsyrup16g - 単行のカナリア

 
 「空をなくす」といえば、ライブで披露されたときに、ラストのストロボが焚かれるなかでのキメのサウンドを何度も繰りかえすライブアレンジがかっこよすぎて目が離せずに立ち尽くしたことは忘れられません。

 

  最後に。無力感と空を飛ぶ/飛ばないという話が「無力感は狂いのはじまり」にあったので引用しておしまい。

春日先生(対談相手)が、ジタバタすることで無力感を受けいれるというか、それ自体が人の営みだと言ったじゃないですか。それは疑問を持った場合、動いて、何かにぶつかって自分は空が飛べないことをはっきりわかった方がいいってことですよね。自分の限界というか、身の丈を分かったうえで夢を見据えるということが非常に重要だし腹が据わる気がする。
「無力感は狂いのはじまり」 P42

 ふと思ったけど、「今は飛べるよまだ飛べるよ、この空をなくすまで」は「諦めないほうが奇跡にもっと近づくように」とほぼ同じ意味かもしれない。無力感を受けいれつつも、またすべてを投げうつことはせずに、奇跡の可能性があるならば諦めないというような意味で。もちろんそれはけっして簡単なことではなくその逆だからこそ、強く歌う。