単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

真っ黒な人間関係サイコサスペンスのフリーADV『真昼の暗黒』感想

 わたしは「どうして、こうなっちゃうんだろう」系ストーリー、いわばボタンのかけ違いによって状況が際限なく悪化しつづけていく系ストーリーが好きで、その話がどうしようもなければどうしようもないほどいい。

 隷蔵庫先生のフリーADV『真昼の暗黒』は、決定的なひとつの失踪事件をはじまりとして、その影響がそれぞれの登場人物に致命的な変化をもたらし、さらに明るみになった過去がもつれ合って状況は錯乱しつづけ、その渦中にいるキャラクターたちの感情を精緻なまでに暴きだしていく……といった読みごたえがあるサイコサスペンスかつ、「どうして、こうなっちゃうんだろう」感に溢れていてよかった。R15で、エログロゴアあり。

 感想記事なのでネタバレしかありません。気になったら下のリンクからダウンロードしてプレイすれば「どうして……」という感想と面白さは保証できます。

novelgame.jp

 まずゲームを立ちあげて、誰かのパソコンにあるファイルを閲覧するといった疑似UIが表れて、つづけてロールシャッハテストのような心理検査がはじまる、と導入の時点から引きこまれていった。クリア後に「ファイルが破損しました」からhtmlのショートカットをクリックしたらwebページに飛ぶという世界観のリアリティを補強するギミックもおもしろくて。しかもそれでいて全貌はいまだ闇の中っていうおまけ付き。

 物語外にいるプレイヤーがファイルを閲覧するといった形式で、この手のストーリーによくあるように「謎」が物語の中心なのかなと思っていたけど、むしろ比重としては、その「謎」によって生じるキャラクターたちの関係性の揺らぎが見所とかんじた。人間関係のサスペンスとして。

 で、以下の心理検査f:id:dnimmind:20191124123155p:plain

 クリア後にまた最初の心理検査のこの画像をみてたら、ふとおもったのが、昼間ミサと暮方計の関係性を象徴しているのでは。最初は、彼らは加害者と事件の被害者(直接的ではないが)で他人同士」の関係だけど、ラストのEp.9では「恋人」のような関係にまで発展する。といっても一般的なそれではないから、やはり「他人同士」か「恋人」かどちらかを当てはめることは難しく、どっちとも言いがたい。それがおもしろいかと問われれば、物語として最高におもしろいのだ。

 キャラクターの苗字の昼間と暮方は、光に位置する昼間と闇に位置する暮方、といったイメージが思い浮かぶが、そのイメージのみで説明するにはふたりの関係性は込み入っている。その様子を最初から暗示しているのはユニークな仕掛け(だと思ったけどどうなんでしょう)。

 

 隷蔵庫先生の解像度の高い文章は読んでいて心がざわついて癖になる。序盤から、昼間ミサの鬱屈としたダイアローグに引きこまれていった。昼間ミサは、ニュータウンの団地を舞台に変わり映えのない環境のなかで、周囲とのなじめなさをひたすら心のなかで主張しつづける。例えば、ミサが「今考えると、お姉ちゃんの愛情を拒絶したのも結局その一環だったね。傷があればあるほど自分が惨めに思えて、頑張らなくてもいいって気がするんだよね。自分を悪い方へ追いこんで下の下まで落ちて、もう無くすものが無くなれば楽だよね」と独白するように、そもそもはじまりからして「どうしてこうなっちゃったんだろう」感を漂わせている。

 最終的にたどり着いた、昼間ミサと暮方計の特殊な関係性を説明するときに、すべてのはじまりが「姉の失踪事件」のみではないことは明白。はじまりから昼間ミサは等身大の絶望を抱えているから、姉の失踪事件は原因と言いきることは難しい。最大のきっかけには違いないが、それがすべてとは言えないような描き方をしている。

 だから、加害者と被害者の関係性によくある「ストックホルム症候群」とか「DVの車輪構造」とかいう便利なカタログに当てはめるのはむずしい。「他人同士」以上「恋人」未満からなるスケールのどこかに位置づけられるか、もしくはその埒外。もつれにもつれた人間関係は、安易なカテゴライズを許してはくれないのだ。タイトルの「真昼の暗黒」をキャラクターに置きかえた「昼間の暮方」と主従関係が示されているが、そこに至るまでの関係性が変化しつづけるから、人間関係のサスペンス度は高まりつづけていく。

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でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。だからこの話はここでお終いなんだ

 で、わたしはサイコサスペンスの「サイコ」についてこだわりがあり、その点でも「真昼の暗黒」は充実していて、これがR15なのかと驚いた。

 持論に、サイコサスペンスの出来の判断基準のひとつに死体処理をどうするか(=ボディを透明にする方法論)というのがありまして。暮方計が、下水処理が不可能と分かり、死体処理を「がんばっている」あたりが人間臭くて、個性と魅力をもつキャラクター性が浮き彫りになっていた。彼、平山夢明の「異常快楽殺人」を参考書として読んでそう。   

 それだけでなく、性的嗜好が法の外側に位置してしまった人間の心理描写が微に入ってる。ほんと。「両目の角膜は白濁しており、もはや目というより粘性のある大理石のようだが、こちらを"視ている"ことだけは確かにわかる」「屍体をぬいぐるみがわりに抱く、生臭さと崩壊寸前の肉の包容力を彼は感じた」とか、イメージ喚起力が高い。そのおかげで、ああ本当に暮方計は死体になった彼女を愛しているんだなと感じられた。二人はどのような関係に見えますか? よく分かりませんが、男は死んだ女を愛しています。

  

 「真昼の暗黒」 をプレイしていると頭に思い浮かぶのは、「人間こそがもっともミステリーだよな」ということだった。作中で、提示された謎が少しずつ明かされるにつれて、それに関わっているキャラクターの複雑性もまた見えてくる。ボタンのかけ違いがどこからはじまったかといえば、失踪事件ではなく、暮方計や昼間うたげの過去に遡れば機能不全家族があり、それすらもさらに遡ればまた……といった想像ができてしまうけど、暮方計は初犯の犯行動機を「夏が暑かったから」と、某「太陽が眩しかったから」みたいな言及をしていて、これまた分かりやすい答えを提示してはくれない。  

 それゆえに、ゲームはすでに決着をみせた事件のファイルを閲覧するといった形式なのに、プレイヤーは読めば読むほど暗黒に飲みこまれていくような感覚になる。わたしはノベルゲームは現実を忘れさせて物語に没頭させてくれればくれるほどよいと思っているので、『真昼の暗黒』で事件の全貌が明かされるにつれて人間関係が錯綜していくストーリーはとことん没頭させてくれて、とてもよかった。 

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 まあ、どのような状況であれ分かりあう瞬間というのは尊いもので、Ep.9の昼間美沙が暮方計と行為に及ぶなかで、「彼が屍姦を好むということは十分理解していた。しかし、それが実際に彼にどのような影響を与え、どのように眉間を歪ませ、喘ぎ、素肌に汗をかくか、実感したのは今だった」と気づきを得たシーンは感動もの。それと官能的表現が極まっている。はっきりいって、エロい。エロゲのごとくホワイトアウトするしこれがR15なのかとふたたび驚いた。

 分かり合える瞬間といえば、序盤で小学生時のミサの勘違いから時穣介と距離が離れたあとに、話し合うことで分かりあう子どもならではのやり取りのシーンがあった。こういった一般的な交流が描かれるおかげで、ラストの一般的ではないがかけがえのない交流のシーンの尊さがいっそう際立つと感じた。

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 事件は第三者の手によって冷徹な検証が行われてしまうわけで、『真昼の暗黒』も一つの事件が第三者によって解明されたという側面を持つが、また一方で昼間美沙につづられた物語という側面を持つ。疑似UI、プレイヤーが閲覧するという参加方法などのノベルゲームの構造を利用し、ときには逆手にとり、人間の心のドアを奥の奥まで開けつづけていくような展開は見事だった。プレイ中に「どうして……」って何度もつぶやいたし、そうつぶやくことはわたしにとっての称賛の拍手とだいたい同じ。

 結局、ふたりの関係は一般的な普遍的な価値観の枠外にいるから、プレイヤーとしてはただそういうものだと受けとるしかない。

 美沙が「それは幸福だと思う。」と言ったように、つまるところ、幸福へたどり着くまでのお話なのでしょう。寄り添っている二人の画像を眺めているだけでは「他人同士」か「恋人」かなんて断言することはできないから、当事者の証言を信用して「幸せになれてよかったね」とおもってめでたしめでたしと〆たいけど、でも昼間美沙は「信用できる語り手」ではないような気がしてまたしても暗黒へ。