単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

『明日、私は誰かのカノジョ』五章洗脳 感想

 『明日、私は誰かのカノジョ』の五章はおもしろかった。

 五章は、推し活、歌い手、よくないインターネットにスポットライトが当てられている。そして、その章タイトルが「洗脳」になっている。推し活したことないし、「店外はリアリティがない」という批判的意見が多いことに驚いた俺は、五章はエンタメとして読み、そしておもしろかった。

 ざっくりとした感想は、

「流花(=琉花?)(留奈)のツッコミがキレッキレでおもしろい」

「ポポロ(心音)は掲示板(たぬき)をブックマークから消せ!見るな」

「バシモト(真鍋)は作詞のセンスがいまいち」だった。

「いつも期待しているおっさん枠が普通だった。普通にいい人だった」

 だった。 

 つーか、主要なキャラクターにそれぞれ本名とはべつのHN、源氏名、アーティスト名があって書くのややこしいな! 人間にはいろいろな顔があり、いろいろな呼ばれ方をする。

 以下、感想。ネタバレあり。作者インタビューを読んでいたら単行本派にはネタバレがあった。

伊織(留奈)について

 今回の主人公は留奈。留奈はサジェストで「嫌い」と出てきたくらいに好き嫌いが別れているらしい。

 それが留奈が人に弱みを曝け出すことが「それが出来ない人間ってフリでもいいから弱いところ見せないと、生意気だ可愛げが無いって攻撃されるんだから」と語っていたとおりになっている。

 『明日、私は誰かのカノジョ』の物語においては「弱みを曝け出す」とは「過去について明かされる」と同義で、留奈の過去は「育ちがいいわけではない」とほのめされるくらいで明かされることはない。

 五章の留奈は、三章のあやなや四章のゆあてゃとは違い、過去が描かれて弱みを曝け出すこと(読者に)にはならない。

 そのことが俺にはちょっと驚きだった。取り扱っているネタは高級箱ヘルや歌い手の炎上やよくないインターネットと分かりやすいのに主人公の捉えどころのなさは過去一だったとかんじた。

 

 五章については、俺は「洗脳」の話というよりかは「依存」の話なのではとおもった。

 依存についてはよく本に書かれているのが、「人は何かしらに依存している」ので「依存症は依存の内容に問題がある」、依存そのものが問題ではないというような話だ。

 では、問題のない依存がどういうものかといえば、

・依存先が多い

・依存先が心理的・経済的な負担が軽い

 となる。

 具体的には、複数の人間関係やコミュニティに依存しようとよく推奨されている。「自立というのは、多くの依存先を持つことである」らしい。五章に登場する留奈や心音のように、推しや恋愛や金に依存しきるのはあまりよくないとされている。

 

 これまで留奈の過去や経歴は明かされない。これからの留奈はどうなっていくのも分からない。留奈が図書館でレンタルした怪しげな自己啓発本は、マジなのか参考にするためのか一体どっちなのだろう。

 最後の台詞の「推しってなんだよマジウケる」は、他者の消費行動一般についての意見なのか、誹謗中傷された経験のせいで個人的嫌悪感ありきの否定なのか、そこらへんもハッキリとしない。理解できないから少しは理解できたせいで否定的になったことは「進んだ」と言えるのかも分からない。

 おそらく五章冒頭の留奈のモノローグは、バシモトとの出会って別れたあと、さらに時間が経過したあとの言葉なのだろう。

服も容姿も愛情だって自分が幸せになるための手段であって目的じゃないでしょ

その価値観"洗脳"されてるよ

 そういうぼんやりした感じで、無理に留奈のストーリーに落としどころを見いだすならば、「他人に自分の拠りどころを委ねる」ような選択肢を手放すことができ、新たな選択肢を模索するようになったことだろうか。洗脳、依存の観点からすれば、一つの依存先(しかも心理的・経済的負担が大きい)ではなく新たな依存先(推し活や恋愛以外で)を模索しはじめたとはいえそう。

 ハッピーやバッド以前にエンドではなさそうなのだ。もとから『明日、私は誰かのカノジョ』はそういうキリがいい物語ではないがさらに。

 

 とはいえ留奈はたくましい。この先もうまくやれそうである。ツッコミがおもしろいし。

 悩んだときにはひとりで抱え込まずに友人に相談するし、バシと付き合うかどうかの話し合いで反論されて納得できたらすぐに反省して謝ることができるし(ここがすごい、ここで好感を持てた)。ツッコミがおもしろいし、「恋愛のことになると人って知能低くなる」せいで恋愛でヘマをしたことを誰よりも自覚をしてたし。意志が強く、また流されやすいし、それを理解している。

 

 印象深いのが、留奈が沼黒に「SNSをやってないの?」と聞かれて「やっても金にならないんで」と答えるシーン。

 なにせ留奈はついにはバシモトと別れ仕事を辞めて復学したが、それって「やっても金にならない」(恋愛)と「やっても金にしかならないこと」(高級風俗)に距離を置いたといえる。

 明日カノは、人生は続く、Life Goes On的な終わりかたが多いが五章もそんな感じだった。

心音(ポポロ)について!

 あとはほぼ余談。

 心音が投げ銭してコメントを読まれて感極まったあまりに五体投地っぽくなるシーンがいい。

 バシモトの耳舐めASMRで留奈が「なんなのこれ 意味わかんない!」と笑いすぎて泣きている一方で心音が「うわあああ え…えろすぎる…!」と頬を染めるシーンがとてもいい。

 「掲示板かぁ…やっぱ見た方がいいのかな…」に関しては見ないほうがいいのに……。

 いいといえば、推しのバシくんが炎上し、心音は推しから降りよう(降りる?)と決意し、握手会で本人と言葉を交わして「こんなのやっぱり降りたくても降りられないよ…」と心変わりし、数か月後、「アンチじゃありません」というアカウントの反転アンチをやっていてそれが十一巻の表紙っていうのがマジでいい。 

 普段、明日カノは画像を引用しないが、心音が投げ銭してコメントを読まれて感極まったあまりに五体投地っぽくなるシーンは象徴的だったので引用する。

『明日、私は誰かのカノジョ』十巻より
いつものおじさん枠は沼黒さん

 『明日、私は誰かのカノジョ』の魅力の一つが、毎回登場して物語に花を添えてくれるおじさんたちである。

 今回のおじさん枠は沼黒さんだった。初じめて外同伴デートのとき、沼黒さんはファッションブランドを勉強したであろうのに見事にハズしてしまう。店の掲示板を見ないおじさんである。「今のところ普通にいい人」であり、最後まで普通にいい人だった。

 つーか、明日カノめっちゃおじさん出てくるな。おじさん展覧会が開催されている。それを俺は楽しみにしている。今回は普通だった。……いや、普通なのだろうか?

今回の明日カノで初めて知ったことコーナー

 ウェットトラスト。

留奈の好きな台詞ランキングベスト三位

 三位。「え!?、絵じゃん!」

 会員制BARでバシモトの歌ってみた動画を見たときのツッコミ。留奈がいかにインターネット文化に興味がないのかが分かる。留奈は明日カノに登場するキャラクターの中でもっとも明日カノを読んでなそうなキャラクターだった。

 

 二位。「あ…うん なんていうバラード?っぽくていいと思う 一番に見せてくれて嬉しいありがとね …ちょっとタイトルだけ替えない?」

 バシモトが作詞した歌詞を読んだときに精一杯オブラートに包んだ反応。内容はさらっと触れ、「一番に見せてくれたこと」に嬉しいと感情を伝え、その上で「タイトルだけ変えない?」と提案する。完璧な立ち回りなのでは。沼黒とのデートのときに「SNSハ金にならない」と本音をこぼしたあとの誤魔化しかたもよかった。

 

 一位。「炎上しても歌はうまい!」 

 炎上した歌い手のカラオケでの合いの手。留奈のツッコミは状況とあってこそおもしろいものがおおいが、言葉そのものでも破壊力があるのがこれ。次回の「明日カノ名言投票」の十位以内にランクインすることまちがいない。

 

六章ヤバそう(単行本の段階ですでにヤバい)

 五章のもっとも衝撃的なシーンは奈々美さんの「ねぇ引き寄せの法則って知ってる」というセリフだった。俺にはそこがなによりの衝撃だったのだ。

 情報商材自己啓発セミナーぐらいは登場しそうと予想していたが、まさかのスピリチュアルというど真ん中のテーマを投げてきた。俺はスピリチュアルについてはブログに何度も書くぐらいに気にしていて、それはひとえに身内(しかも女性)がスピリチュアルと深く関わり合いがあったからで、その俺は動揺してしまった。

 だから奈々美さんがこう、満を持してというか、留奈と打ち解けられたと思ったからか、スピリチュアルをオススメするシーンにやられてしまった。それまで奈々美さんが話題にもしていなかったからノルマやビジネスのためにではないと分かる。奈々美さんは心からいいもとおもって誘っているのだ。その事実で心がぐちゃぐちゃになってしまった。 

 で、六章はその奈々美さんが主人公になるという。

 『明日、私は誰かのカノジョ』はよく言われるように現代的な話で、ついに俺(の少なくとも身内)にとっても現代的な話にまで繋がってしまった。一体どのようなオチになるのか、どのように決着をつけるのか。楽しみでしょうがない。