単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの曲レビューその4「明日を落としても」

翌日→明日

数えきれないほどこの曲を聞きこんだ私は、イントロのマイナーコード一発でスイッチが入りますね。


Syrup16gの曲レビューその4「明日を落としても」

「つらい事ばかりで 心も枯れて
あきらめるのにも慣れて
したい事も無くて する気も無いなら
無理して生きてる事も無い
明日を落としても誰も 拾ってくれないよ
それでいいよ」


諦めや後悔、上手くいかない現実に少しずつ何かが擦り減っていって。
自ら選択して死を選ぶわけではなく、消去法で最後に残ってしまった選択肢が死ぬこと。
そこに至ってからの感情は停滞しているというか、消極的というか。
ある種の穏やかさすら感じるこの雰囲気に、曲に込めた思いの切実さを感じます。
この曲もきっと多くは自分に向けて言っているんだろうな。


「明日を落としても」


とちょっとした比喩で表現されているけど、それが何を意味するかは明らかで。
あえてこういった言い回しをすることで、死がより日常的で当たり前のことになっていくような。
落とすか落とさないか。手を離さすか離さないか。それくらいの近さ。
日常の延長線上にある死が、この詞の中では限りなく日常に寄り添っていて。
そう考えると、あらためて心の奥底にじわじわ響いてくる歌詞です。



「そう言って うまくすり抜けて
 そう言って うまくごまかして  
 そう言って 楽になれる事
 そう言って いつのまにか気付いていた」


で、実はそう言ってそう言うことに、安らぎを感じているというのが、この曲の真髄だと思う。
明日を落としても 拾ってくれなくてもいいよは、結局は楽になるためのまやかしの言葉で、本当に心からそう願ったわけではなくて。
それに気づいた時の感情ってけっこう辛かったと思います。
うすうすと気付いてながらも決定打は確かにあったはずで。
なんせ諦めばかりの人生で、たった一つの切実な思いも実は中途半端だったと。
だから、死ぬことすらも諦めてしまう。
個人的にはこの甘さともいえる中途半端さが、まさに自分のことのようで何とも言えない気持ちになります。


Do you wanna die?


死にたいとか辛いとか、そう言って気持ちを吐き出すこと、そこに逃げることで楽になれる。
さらに、それすらあえて言うことで、本当は自分は切実に死を思っていないと思うことができる。
でも、もう死にたい思わないかというと、きっとそうでもないんですよね。
気づいてからは自分が逃げているなあってことも加えて考えてしまう。
そこを思うと、辛くなってしまうだけの曲だとも思ったり。

でも、事実は事実だから向き合っていく必要があり、終盤の英詩で、その生きていく覚悟を確かめていると。
死にたいという言葉はただ楽になるための言葉だけど、それを踏まえたうえで、死にたいの?って。
ほんとうに容赦ないです。
前回も似たようなことを書きましたが、この温度が好きなんです。



実はこの曲はインディーズ時代のミニアルバム「Free throw」ですでにあった楽曲のアレンジになります。
そのアルバムの原曲はもっと柔らかく、もっと優しい雰囲気の楽曲でした。
メジャーにいってからのアレンジの方が鈍く痛くなっています。どういう意図かはわかりません・・・。


なんか大雑把な感想になりました。指示語とかぐちゃぐちゃでかなり見にくいですね。
感想そのものがばらばらだから、その様子を感じ取って貰えたら嬉しいです。