単行のカナリア

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Syrup16gの曲レビュー「翌日」


 Syrup16gの曲レビュー「翌日」。delayedeadバージョンについて書きます。

 祝祭的なギターのイントロから、選び抜かれた言葉に至るまで、五十嵐隆流の優しさに貫かれた一曲。サビのキャッチャーさも相まって万人にオススメしたくなるポップな名曲。 

急いで人混み染まって 
諦めない方が 奇跡にもっと近づくように

 翌日、ドスレートにいい曲なので語るのが難しいんですよね。メロディーを前面に押しだしたシンプルなバンドサウンドでそれはただ聞いていて「グッド」の一言ですし、詞だって言い切ることはせずに丁寧に言葉を手繰りよせてささやかな希望を込めるあたりも「グッド」と評価してしまう。

 前向きな曲かつ前を向いて明日を迎えるための曲。
 奇跡はないと分かっているからこそ近づくだけで、嘘にまみれて濁った目になってしまうから裸のような眼を欲して、ふがいない自分は拒絶してしまうから受け入れるべきと自分に言い聞かせる。困難さを分かち合ったうえでなおかつ祝福していて、優しさとか美しさといった柔らかい雰囲気が通底しています。

喧噪も待ちぼうけの日々も 
後ろ側でそっと見守っている明日に変わる意味を 

 「明日を落としても」では、明日は落としてしまいかねない脆弱な存在のように描写されています。一方、「翌日」では、後ろ側でそっと見守ってくれる優しい存在のように描写されています。
 
 どちらかが正しいとか間違っているとかではなく、明日はどちらの見方もできるって話。
 ただ見方は自由にってわけではなくて、

嘘から抜け落ちた裸の様な目で 
美しいままの想像で 

 美しいままの想像で明日を描くことができるならば、そのときは明日が後ろ側でそっと見守っていて、また今日を有意義なものにしてくれる存在になる。この曲は、翌日を優しい「明日」として心に描くために後押ししてくれます。そのための丁寧な言葉と綺麗なメロディー。

 「Free Throw」でも「delayedead」でもこれらの曲が同じアルバムに収録されているのがSyrup16gらしいし、私は「翌日」を「明日を落としても」と聞き比べてほしいと思います。あくまで「奇跡にもっと近づくように」であり、「奇跡が起こる」とは歌わないバランス感覚、それは「明日を落としても」で歌われる生を放棄したくなるほどの日々があってこそですから。もちろん単体でもいい曲。
 

 それにしても「明日」が後ろ側でそっと見守っていて、さらに「明日」は今日を意味に変えてくれる……と「明日はべつに敵ではない」ことを親身な詞とキラめくバンドサウンドで受けとようとするあたり、「翌日」はSyrup16gの原点と呼ぶのにふさわしい曲でしょう。
 
 
 翌日は生きている以上は常にやってくる。それがときには受け入れがたい事実だからこそ「翌日」では受け入れていこう、という意志がこもっていて。これがSyrup16g流の応援歌でしょう。頑張れでも大丈夫でもなくて明日を少しだけ良いものと視点を提示するアプローチで応援するわけです。

 ちなみに解散ライブでは、

誰の空の上にも太陽がやってきてしまう やってきてしまうから 
誰の太陽の上にも 宇宙があるから

 といった歌詞が加わります。 
 「太陽がやってきてしまうから」って表現がすばらしい。太陽がやってくることが恐怖になることだってあって。それを踏まえた上で「翌日」が歌われるんですよ。踏まえてもなお「翌日」を歌おうとする意志があるわけです。優しい曲だけど、意志はとても強い曲だとも思います。