rui178さんという方がいて、わたしも彼のような考察ができるようになりたいと思い、「どうやったらそのような考察をすることができますか?」と質問してみました。その返事として頂いたつぶやきがすばらしいものだったので、それを頭に刻み込むためにそのつぶやきをまとめてみます。
なぜタイトルがアニメの「愉しみ」かたであるか。
質問というのは、具体的には「どのようことを注意してアニメなどを見ればruiさんのようすてきな考察ができるのでしょうか。もしコツがあったら教えて欲しいです」という内容でした。
ルイさんは、私が見てきたアニメ考察をする方の中でも、何より本人が楽しんで解釈しているというのが伝わってきます。そして、その解釈はどれもが、洞察・観察に優れていて、さらに意外な視点から作品の楽しさについて語られていたものであり、素晴らしいのです。
そこで勇気をだして質問してみることにしました。
rui178 ルイ@akkunto 畏れ多い…。「何が愉しいか」に誠実ではありたいですよね。展開予想も、構造も(それも作り手の「愉しい」の筈ですから)「何故?」を繰り返し、自分に答えていけば、それなりの理路にはなるのではないでしょうか。但し、ぼくは愉しさ優先で、平気で変な読み方もしちゃうダメな例w
ルイさんの返答です。つまりは自分にとっての「愉しい」を突きつめてみる。と理解しました。
そして「なぜ楽しいではなくて愉しいなのだろう」と気になって、「愉しいは楽しいとどう違うのでしょうか」とさらに質問しました。もちろん、質問する前に辞書を引いて調べましたがよく分からなかったので。
rui178 ルイ@akkunto 先ほどの話にも通じるもので「何故」をはじめとした負荷を一旦敢えてかて、それが思考なりで晴れたその行程が「愉しさ」ですね。楽しさが感覚的なら、愉し さは思考的。そして、愉しさって楽しいよね、という結論があるからこそ、考察などをする訳ですね。楽しい事が好きだから!
するとこのような回答を貰いました。なるほど。「愉しい」は、あえて考える手続きを踏むことで、作品を楽しもうということで。しかも、その考えるきっかけは、自分にとって「面白い」ことが発端であるということです。
由来、物語は作り手がいます。そもそも自然に生まれた作品などはなく、極論をすると、作品を構成するすべての要素が何かしらの意図があって作為的に配置されたものです。
そこで、
「なぜこのような演出を選んだのだろう」
「なぜそのキャラクターにそのセリフを言わせたのだろう」
「なぜかくれんぼなのだろう」
と、この「なぜ」を突きつめていくと、正解・不正解に関わらずに、作品についてより多く思考を馳せることになって、このプロセスそのものが愉しいものであり、ひいては結果として出来上がった考察もやはり楽しいものであるのです。
しかし、こういった手続きを含めて、みんなが作品をこのように愉しめるというわけではないでしょう。ただ、一つの方法としてこういった楽しみ方もあるよ、ということです。
私個人としては、じっさいに「めっちゃたのしー」という経験を幾度も重ねていますから、この愉しみ方はオススメしますね。アニメだけではなく、音楽だって、小説にだって同じことが言えます。
さいきんでは、魔法少女まどか☆マギカが初心者にもそういった愉しみかたができる作品だったので、かなり愉しませてもらいましたね。楽しんでいるうちに技術も向上していったらいいですよね。
それにしても、さいごの「楽しいことが好きだから!」という返信はちょっと素敵すぎますよね。
その頃、考察という言葉にちょっとした嫌悪感をもっていた私でしたが、この返信を見たことでそのわがたまりが解けました。
だって、みんな面白いからあんなに難しいことを考えているんですよ。なんてこった。表面上、そうとは決して思えない考察にだって、その根底を探ると「愉しいから」がきっと眠っているのでしょう。
別に知識ひけらかすわけでも、スノビズムにおちっているわけでも、衒学的であるわけでもないのです。
それを思うと、考察という行為はとっても素敵なことだと思うようになりましたね。