単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの曲レビューその7「ソドシラソ」


浮かれていたのもつかの間。シラフなって冷める。あおざめる。

「俺は期待はずれ
まとはずれ
バカは並はずれ
寝て忘れ

はって街へ出る
飯食べる
マンガ読んで帰る」

まったく飾ることをせずに、思いついたことを書き綴っているような歌詞で。
ここまで言う必要があるのかってくらいにありのままの気持ちを吐露しています。
そのせいか、やけにリアリティがあって生々しい、生々しすぎる感覚がします。
んでもって、そのおよそダメ人間の代表のような歌詞に、自分は見事に当てはまって、
苦しいんだか癒されるだかわけのわからないシンパシーを感じるのです。


私がこの歌に抱いている思いは、ありがたい、といった感謝の気持ちですね。
こういった歌はそうそうあるものではありません。
大げさに嘆くこともなく、感情的に叫ぶわけでもなく。
ただ、ありのままにひとりごとのようにしょーもないと歌っているだけで。

ありのままってなんだかいい意味のように聞こえるけど、
ありのままになにもない人にとってはそれは辛いことでさえあって。
自分探しをしてみつかったのが「なにもない」だったとしてもおかしくないし、
そういうときどうすんだよ、って話になってもどうすることもできない。

それは最初は悲しいかもしれないけど、しばらくたったらもう慣れてしまって。
惰性だけで生活をしていくようなくたびれた後ろ姿が浮かんで。

そんなこんなで自分がしょーもないことでも歌詞にして鼻歌で歌うか。


って、そんな背景を勝手に想像したりしています。
本当にこういう曲はありがたくて、嬉しいですね。
わざわざ自分のダメなところ、積極的に批判するほどもないダメところを
こうやって歌にしてしたことで、多くの人の救いになっていると思います。


辛いときにソドシラソを聞いたら気持ちが軽くなります。
さっきもテンションが上がった反動でかなり落ち込んでいたのですが、
この曲をリピートして、こうやってレビューを書いていることで、
まあ自分はつまらないし何もないしそんなもんだよな。と気持ちが安らぎました。
こうやってレビューを書くというのは、自分にとってはセラピーのようなものかもしれません。


「誰か何か言ってるぜ
聞き流す
振りして真に受ける」


ソドシラソにはSo don't sing love songといった意味があると目にしました。
これは確かであるかは分かりませんが、なんだかしっくりくる英訳ですね。
ソドシラソは楽曲の音階どおりに歌われているわけではないので。
個人的には、てきとーな様子を強調するためのタイトルかなと思っていました。
正しいかどうかは置いといて、こういった解釈は素敵ですね。


「ラブソングなんか歌わねえよ」


いかにもソドシラソのテンションに似合う意味ですね。
この投げやりな感じ。ちっとも真面目ではない感じが。


ソドシラソ。この曲はもう生活必需品です。
サウンドもカッコいいのですがそれよりはもう、このやるせない感じと投げやりな感じが何よりの癒しです。