単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

THE BACK HORN名曲レビューその23「走る丘」


 あと一か月でいよいよマニアックヘブン・ベストコレクションが発売になります。うーん楽しみ。その中から公式で「走る丘」のライブ映像が公開されました。せっかくの機会なので動画を載せて「走る丘」のレビューをします。久しぶりの全曲レビューですね。


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 今月はTHE BACK HORNのライブを二本も参戦できて充実した一か月でしたね。新曲の手応え、洗練されたライブパフォーマンスと、立ち止まることなく覚醒し続ける彼らにここしばらくは胸が躍っています。現在のバックホーンはこうして面白いのですが、やっぱり過去のバックホーンもいい。今回レビューするのは、そんな彼らのキャリアの中でも一際アクが強く混沌とした「走る丘」。



極から極へと移り変わり行く心の明暗
弱さはもろくも 明日の光すら閉ざしてしまうのか



 ひと言でいえば、後悔。
 
 ってことになるのでしょうが、この楽曲は到底一言で表せるものではないです。体をギッチリと縛り付ける後悔、鉄球の重りとなって足枷となる後悔、そういった風にイメージを想起する情緒さをもって描かれています。そこには確固たる世界が立ち上がっていて、それは精神世界を表しているものような。とにかく混沌としていて、その混沌としている様子それ自体が強烈なメッセージになっている、個人的にはバックホーンの名曲の一つ。
 
 しつこいほどに強調している混沌としているのが走る丘の真髄だと思いますね。懊悩していて、もがいていて、どうにもならない広大で深淵な世界があって、そこで立ち止まりしゃがみ込んでただ嘆いている。人間と「走る丘」の比喩は、立ち止まる自分に対して、遠ざかる風景と解釈しています。でも、崖っぷちを走るような切迫した自分の姿と捉えてもよさそう。いずれにせよ並々ではない風景で穏やかものではない。



 それだけではなくて、走る丘は切り出された世界観に圧倒されつつも、さらにサウンドだっておっかない。ぐちゃぐちゃしていて切ない嘆きが木霊している音像空間は、癖になるか、拒絶するか、と二断されそうなアクの強さがあります。一方で、その血肉となるサウンドの骨格はいたってシンプル。ファズがうねっているギターこそはおっかないですが、やってることはそう難しくない。

 なのになぜここまで混沌としているのかといえば、山田将司の叫びまくって感情を吐きかけるボーカルの破壊力だと思いますね。これが核になっているかと。嘆いているというのが声の情感を持ってして伝わってくるし、のた打ち回るほどに後悔している様が歌に込められている。上手さはない。でも生々しさでいったら抜群。だから何もかも振り払ってもがきたいときにはうってつけの一曲。刺激的な感覚そのものです。



走る丘 かき消す記憶 涙浮かべて
今、生きよう 生きようとも 生きるとも


 しかし、この曲は混沌としているだけではなく、そこからさらに一歩進んだテーマも歌われています。といってもただ「生きるよう」それだけなんですがね。でもそれが苦しいからこそ、こんな情念が立ちのぼる楽曲が生まれたわけで。そう考えると「生きるだけ」とひとことにいっても、そこの旅路には歪みや嘆きが生まれてしまうのです。綺麗な人生なんてあり得ない。懊悩にまみれてこそ、だと思います。たった一歩進むのにも死ぬほど考えて悩んでもいいじゃないかと。所詮は「宇宙の中の小さな虫」ですから。そんなちっぽけ虫でさえも悍ましいほどに懊悩を抱えて込んでいるってのは美しい光景だと思います。