単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

ハンターハンター 幻影旅団と十二支んの共通点の考察


 HUNTER×HUNTERの考察記事。今回は「幻影旅団」と「十二支ん」の集団の共通点について考察していきます。単行本派の方はちょっとだけネタバレがあるので注意。

 まずは、この考察記事の前提となるハンターハンターの世界観について。詳しくは「ハンターハンター パリストンとネテロについての考察 」「ハンターハンターの世界観の考察、なぜジャイロがタイトルになるほど重要視されたのか 」を読んでもらいたいのですが、端的に述べると「遊び(ゲーム)が重要視される」という世界観です。

 いつもの。
 ハンターハンターの世界では、遊び(広義でのゲーム)を共有できるのが仲間であり、遊びを提供できるキャラクターが良いやつとなる。その視点だと、人権を奪われて悪意をまき散らす合理的な思考を持つジャイロは、遊びの天才であるゴンの対極にいる存在であるがゆえに、作中では「ゴンとジャイロが運よく出会うことがなかった」という宿敵のような描かれ方をしたということです。その意味では王、ゲンスルーなどの相手は「敵」ではない。ジャイロこそが唯一ゴンの宿敵になりうる素質を持っているキャラクターなのです。 

 さらにニコ生PLANETS12月号​「徹底評論!『HUNTER×​HUNTER』」で語られていたことを付け加えると、遊び(ゲーム)というのは狩猟採集生活の本能的快楽に根差したものであり、つまりはコレクションを手に入れるための狩りを楽しむ行為のことです。まさしくハンターハンターはハンター(狩猟者)を主役とする物語というわけです。

 

幻影旅団について

 
 これに関して真っ先に当てはまるのが、蜘蛛と呼ばれる幻影旅団。彼らは盗み/殺しを主な活動としていて、一人の団長および十二人の団員で成り立っている盗賊集団です。

 なぜ幻影旅団は略奪行為を繰り返すのか。作中では明確な目的は語られてはいませんが、一つの目的としてあるのが「面白い」からでしょう。または狩猟採集をすることで原始的な快楽を満していると。たまにある慈善行為を除くと、彼らはまるで狩猟者の生活を行っています。

 そして彼らは必要以上の略奪、殺人を犯しています。それはいってみれば「遊び」と呼ばれる行為。つまり幻影旅団は「遊びを共有するため」の組織された集団といえます。しかし、それだけではありません。ウボォーギンが殺されたときにノブナガが涙したように、慕われて慕うといった「情のつながり」もあります。その証拠に団長がクラピカに人質にされたときに、団長を慕うものと、組織を優先させるものと二つに別れました。


 この「情によるつながり」と「遊びを共有するためのつながり」旅団と十二支んはこの二つの価値観のグラデーションによって、実は構造的に似ている集団となっているのです。


HUNTER×HUNTER 12 (ジャンプ・コミックス)
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十二支んについて

 
 一方で、十二支んはどういった集団であるのか。これもまたニコ生プラネッツから語られた内容の引用になりますが、ハンター協会の存在意義は政治や利潤ではなく文化事業」ということです。これはハンターという職業が主に文化的業績で評価されていること、ハンターの資格を有する人々の特徴、ハンター試験の娯楽性などから読み取れます

 この十二支んは、動物のコスプレをするチードルを初めとしたメンバー、ジンおよびパリストンから成り立ちます。前者はネテロに心酔しているとあったように「情によるつながり」で、そして後者は追従はしない「遊びを共有するためのつながり」となっています。ここで幻影旅団との共通点が見えてきます。


 盗賊集団である旅団と、ハンター協会を運営する十二支ん。活動内容こそ異なるものの、集団の成り立ちとしては共通点があります。
  

HUNTER×HUNTER 30 (ジャンプコミックス)
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遊びが優先される

 
 そこで、じゃあどちらのつながりが重要なのか?という疑問があります。結論からいうと、「遊びを共有するためのつながり」です。


 まずは幻影旅団。団長が「俺が死んでも蜘蛛は無くならない、俺の死など意味が無い」と語った言葉がありますが、これは事実ではなくて、むしろ理想の在り方を示している言葉でしょう。団長がクラピカに捕えられたときに、旅団のメンバーが「団長を犠牲にして旅団を優先させて」いれば、旅団がより優位に立てたのは明らかでした。

 つづいて十二支ん。ネテロ会長が亡きものになってしまった状況で、十二支んはハンター会長選挙を行いました。結果はパリストンの完勝で終わります。「ネテロを慕っていた」チードルたちは、「ネテロと遊んでいた」パリストンには敵いませんでした。


 以上のことからハンターハンターにおける理想の集団は「遊びを共有するためのつながり」であり、「情によるつながり」はあまり望ましくないようです。遊びを共有することを利害関係と呼べなくもないですが、ネテロとパリストンの関係を見るに、たとえ不利益を被っても「楽しければいい」という価値観があるようです。



 以上。これまでハンターハンターの考察を何度か書きましたが、その度にニコ生プラネッツでの議論で語られていた内容の素晴らしさが身に沁みますね。どの記事もそこで聞いた解釈をこねくり回しているだけなので、特に私が思い付いたというわけではありません。具体的には「遊びが優先される」という解釈で、これを使ってあれこれ考えるだけで、色々とハンターハンターについての考察ができます。パリストンの価値観なんかはもうドンピシャでしたからね。なんといいますか、的確な解釈ってのはここまで強度があるのかと驚いています。世界観を記述するための便利なツールとでもいうのでしょうか。どんどん考察ができるので面白いです。