単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

coaltar of the deepersの絶望的世界観について


 地球が滅亡するらしいので、coaltar of the deepersの歌詞について語っていきます。
 

 deepersの楽曲には絶望的な世界観の曲がけっこうあります。

 代表的なのが、「submerge」。ライブで必ずといっていいほど演奏される屈指のキラーチューンで、エヴァンゲリヲンセカンドインパクトのような世界滅亡が描かれています。轟音をもってして歌われるその世界はあまりにも絶望的。

やがて空より舞い降りる 赤の怒り怒号になる
僕らの声遠すぎて 今放たれる滅亡の矢
やがて海より押し寄せる 天をも覆う破壊の波
戦慄きながら笑うなら 今放たれる滅亡の矢
by submerge 
 

 こういった曲は他にもあって、「NO THANK YOU」では断頭台と電気椅子によって処刑される寸前の状況が歌われていて、 「TO THE BEACH」では世界が静かに終わっていく様子が描かれています。

天を裂き、降りてくる 僕の為の断頭台
光放つ、刀に やすらぎを求める
地獄が見える 這い上がれない
by NO THANK YOU

今この世界は 終わろうとしている 僕らの未来が 崩れていくんだ 
留まってるだけ しがみつくだけ 何処へも行けない  
花は咲かない 水が無いから 鳥は鳴かない もう死んでるから 
ずっとこうしてるだけ 何も出来ないよ すっと変わってゆく
by TO THE BEACH


 さらに、「SARAHⅢ」では君が涙を流しながら僕のこめかみにナマリを埋めて、「DREAMMAN」では雇ったガンマンが敵味方の区別が付かずに乱射して「entreaty 」では巨大な人型の群れに襲撃されています。

 まだあって、「Charming sister kiss me dead!!」ではチャーミングなシスターが死んで魂が抜けかけている僕にキスをして、「DEAD BY DAWN」は世界が朽ち果てて戦いが止まらずになんかゾンビになってしまって、「Zoei」では売り飛ばされそうになった君を救って世界に追われる身になって、「Evil line」では桃色の彼女が屋上からアイキャンフライしていて、「CELL」ではなんかもうとにかくヤバいことなっています。 

 そして、deepersのテーマ曲ともいえる「sinking slowly」では石になってしまった二人が水の中に沈んでいくという、絶望的ながらもセンチメンタルなワンシーンがテーマとなっています。


 
 こんな感じでcoaltar of the deepersは絶望的な世界観の楽曲が多いんですよね。世界崩壊級のどうしようもならない状況から、絶体絶命の状況、ちょっとした窮地の状況まで、様々なバリエーションで誰かが崖っぶちに立たされている曲が多いです。


 そこで特徴的なのが、絶望的な状況であっても絶望しているわけではないこと。状況こそは絶望的なのですが、それでもどうにか生き延びようとする意志が見うけられるのです。もちろんそうでない曲もありますが、「これから」を予感させる終わり方をしている曲が多いようです。

 「NO THANK YOU」ではどう足掻いても死んでしまうのですが、それでも「ノーセンキュー」と状況を受け入れようと覚悟するあたりは、絶望的ながらも絶望してはいないという印象を受けます。

 
 これについては、NARASAKI本人がインタビューで語っていましたので引用します。
──この曲もそうですが、COTDの音楽って水の世界という感じがあるんですが、どうなんでしょう。
N:そうですね。火よりは水に惹かれます。せせらぎとか大好きだし。歌詞でも水や海という単語が出てくることが多いですね。小さい頃に溺れかけたというのがあるからかもしれないけど、海の圧倒的な強さとか波の強さってどうすることもできない。ただ単に流されることしかできなくて、どうしようもない強い力に乗っていくしかないという感覚があるんですね。人生も然りですが(笑)。

N:(中略)俺は絶望的な感覚は好きですが、絶望的な人ではないんです。そこから起きる行動、そういうのが好きなんですね。  

 それこそdeepersの曲には絶望的な楽曲は多いのにも関わらずに、それほど絶望的な印象を受けないのは決して絶望しているわけではないから。あえてそういった絶望的な状況を想定することで、そこで引き起こされる行動が好きでそれを描きたかったのだというわけで。deepersの曲に地球滅亡、絶体絶命の世界観が多いのも納得しました。

 「人の足を止めるのは絶望ではなく諦観。人の足を進めるのは希望ではなく意志」って名言がありますが、まさしくこれですね。絶望的な状況でこそ意思をもって起こす行動が素晴らしいというわけです。かりに意思を持ったところでどうにかなるってわけでもないですけど、それでも諦観に身を任せずに歩み続けようとするその意思がいいってのは分かるような気がします。


 絶望なんてノーセンキュー!