単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの歌詞ってつい声に出したりツイートしたくなるよね

  
 はじめに書いておくと、おれはSyrup16gの歌詞をツイートするその気持ちに共感している。なかには「もうあんたSyrup16gの歌詞ツイートbotってレベルじゃねえか」って人もいるけどそれにも共感する。

 twitterSyrup16gの歌詞をプロフィールに設定している人間をよく見かける。おれもかつてはそうしていたからその気持ちにも共感する。んで、アカウント名に16gが含まれていると歌詞がプロフィールになっている確率は跳ね上がるっぽい。そりゃそうか。おれもまたtwitterのアカウントを消すことになったら16gを背負って転生することに決めている。重いのか軽いのかはよく分からない16gを背負いたい。

 なんかもうねー、おれはSyrup16gの一節の歌詞になりたいわ。
 好きな歌詞になれるなら「末期症状」の「素敵な未来なんてはじめからねえだろ」を真っ先に選ぶんだけど、べつに「エビセン」の「セブンスターの隣のエビセンはもう タイムマシーンの上でしけっちまったぜ」でもこの際文句は言わない。でも「テイレベル」の「速水がしばかれる」「斉藤君がこけた」あたりはちょっと勘弁してほしい。もうシバかれかれたくないしこけたくもない。そんなのはもううんざりだ。

 かくいうおれも、2chSyrup16gがまだ伝説版にあった頃によく歌詞を書きこんでいた。解散した後でもう一生再結成しないだろって思ったときの話だ。眠れなくて塞ぎ込んでいる夜に「寝れねぇ、もう遅えよねぇ」ってよく書きこんでいた。おれに訪れる夜はそういう夜ばっかりだから多分三十回以上は書きこんでいたと思う。あれ、俺ですよ。でも俺以外のやつもけっこういました。

 この前、カラオケにいって確信した。Syrup16gの歌詞って声に出してくなる。あとツイートしたくなる。そういう魅力がある。

 聞くだけで飽き足らず、声に出したくなる。言葉にしたくなる。そういう魅力。そのせいだろうか、ヒトカラに行ったときはSyrup16gの曲をよく歌っている。この前もまた歌った。歌詞は暗唱できるから画面を見る必要はない。そしてたまに感極まって泣いたりもする。Syrup16gを愛する有志たちのおかげでカラオケにはいっぱいSyrup16gの曲がある。ほんと嬉しい。ありがとう!!!
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  して、おれたちは今日もまたどこかでSyrup16gの歌詞を書きこんだり呟いてしまうわけだけど、その歌詞から読み取っている情報というものはそれぞれで違ったりする。

 個人固有の感情、経験が歌詞と結合して情報処理体系が形成されていくことで、傍からみればまったく同じ歌詞にまったく同じではない感情を読み取ることになる。まあ大抵は同じと呼べるほどに似たようなもんだろうが、そこには小さいながらも差異があるってことはまちがいない。同じ歌詞に異なる感情があるんだよ。俺はその差異を大事にしたいと思っているからこれはことさら強調しておきたい。

 おれは2chの伝説版にあるSyrup16gのスレに「寝れねぇ、もう遅えよねぇ」と何度も書きこんだが、そのすべてがそのとき固有の感情を込めて書きこんでいた。それは後悔のときもあったし、ヤケクソのときもあったし、失望のときもあった。大概がコールータールのような鈍重な感情だ。いずれにしても異なっていた。でも、傍からみたらまったく同じ歌詞なのだ。
 
 Syrup16gの歌詞ツイートを目にするときにおれはひたすら「寝れねぇ、もう遅えよねぇ」を書きこんだあの数年間を思いだす。一体どんな感情を込めてこの歌詞ツイートをしたんだろうと思ったり思わなかったりする。大抵は思わない。おれは基本的に何も考えてはいないから。

 
 おれははっきりいって頭が悪い。そのせいか自分の感情を適切に表現することができない。そうしたとき、その感情に近似値になるSyrup16gの歌詞を選び取って書きこんだり呟きたくなる。

 具体例、おれの日々はいつも通りに「上向く予兆もなく陽が落ちて 今夜もまた飲みつかれて眠っちまうだけ」で、ここ数日はずっと「寝れねぇ、もう遅えよねぇ」だったし、それによって「素敵な未来なんて初めからねえだろ」という確信を高めていく。休日はほとんど「はって街に出る 飯食べる 漫画読んで帰る」ってくらいだ。オマケに「生きんのが辛いとかしんどいとかめんどうくさいとか、そんなことが言いたくて偉そうに言いたくて二酸化炭素吐いてるんじゃねえ」と自己嫌悪も欠かせない。しかし「若干クズだが人間としてはまだテイレベル」とか思ったりもしている。

 これらは歌詞なのだ。ただの言葉ではない。すばらしいメロディーがあって、すばらしいバンドの演奏があって、すばらしい歌声があることが前提にされている言葉で、つまりは歌詞なのだ。
 
 歌詞は言葉にこれら諸々の要素が織り込まれているからこそ、歌詞がおれの感情の近似値として成り立つことになるのだろう。
 そんなの傍からみたらまったく分からないだろうけど端からみられることなんてどうだっていいんだよ。おれはおれのために歌詞を書きこんだり呟いたりするんだし。今更自意識こじらせてSyrup16gが好きなことをアピールしたいとかはないし。そもそも分からせる必要も分かってもらう必要もない。この記事だってそういう類のものだ。俺はインターネットを自己満足の機会として稼働させている節がある。

 なんか、最近よくSyrup16gの歌詞ツイートを目にしたから、その気持ちはめっちゃ分かるって書きたかったんですよ。このブログだってSyrup16gの歌詞をひたすら掲載するブログにしたいけど、それはさすがに駄目ってライブドアブログJASRAC包括契約で来まっているからやらないけどね。まあ歌詞を掲載するくらいならいいらしいけど歌詞サイトっぽくなるのは駄目だっていう話。

 なんかもうおれはSyrup16gの一節の歌詞になりたい。たまに書きこまれたり呟かれたりして、切実な感情を乗せられたりしていたい。暗い感情だったらよりOK。何年くらい生存できるかは分からないけど。まあ百年は持つんじゃないの?つーか、それくらいは余裕で持つでしょう。だってSyrup16g最高じゃん。俺マジでSyrup16gが好きだからこういうことだって素面で書けるんだよ。公開するのは酔っているときじゃないとできないけど、記事は素面で書いたからマジでそう思っているんですよ。