Syrup16gの曲レビュー「君待ち」。
「君待ち」の魅力を一言で表すならばコーラスでしょう。
Syrup16gの曲は中畑大樹さんのコーラスがポイントの一つで、「君待ち」では贅沢なほどに間奏、メロやサビで重ねられています。この曲に至ってはもはやひとつの楽器のようなポジションを占めていてファルセットのコーラスが深い余韻を与えています。
そのコーラスは、メロではオク下で厚みを持たせたり、サビではファルセットで奥行きを持たせたりと作用も様々。嘆きのようなため息のような曖昧さにとどまり、役割はあくまでメロディーを補強するといった感じで主役ではないものの、つい曲でもライブでもコーラスに耳を奪われます。
こうしてレビューを書くためによく聞けば聞くほど、「君待ち」に対して抱いていたシンプルなイメージがくつがえり、サウンドはコーラスや展開などの趣向を凝らしたアレンジに気づきました
ああこのまま君を待ってんの
明日もまた君を待ってんの
タイトルから「待つこと」をテーマにしているの間違いなく、歌詞のなかでも待ちに待っていて待ちくたびれてついに過去に逃げ込んでしまったくらいの待ちのイメージが強くて。時計壊れるほどに待ちつづけて、もう記憶が永久保存版になってしまって劣化もなく進歩もなく、約束の有無すら分からなくなったからそれに伴って責任も消えていって、ただ待っている、それしか出来ないから……そう読みとってしまいます。
蜃気楼、時計壊れた、歪む空などの不穏な単語たちから、楽しみながら待っているわけではないことは明白。待つと一口にいっても様々な待ちがあるわけで、期待で胸いっぱいのこともあれば焦燥にかられながらもあり、とうの「君待ち」では「待ってもどうしようもないかもしれないけれど待つことしかできない」と嬉しさがあっての待ちではないでしょう。待つことが待ちつづけることになってしまったときは、絶えず「来なかった」ことを確認しつづけてしまうわけで、まあそれが嬉しいわけがないよねって話。
「君待ち 」といえば、かつてSyrup16gのHurtリリース記念ツアー『再発』で、「勇気を使いたいんだろう」と連呼する「ゆびきりをしたのは」のつぎに「君待ち」が演奏されたことです。
真理なんてデタラメ
勇気なんて出さないでくれ
「勇気を使いたいんだろう」から「勇気なんて出さないでくれ」の流れは正しくひねくれていてよかった。
勇気なんて出さないでくれは、自分に言い聞かせているのか、君に言い聞かせているのか。
自分だったら勇気を出して自ら会おうとするような愚行はやめようというわけで、君だったら勇気を出して自分に会いに来ないでくれというわけで。そもそも待っているのに「勇気を出さないでくれ」と矛盾しているようですが、もはや「待つ」ことが心の拠り所になっていて「待ちつづけたい」と考えているならば、現状維持のために勇気は必要ないので納得できます。
いずれにせよ、待つことは望みがあるから待つ意味があるなのに、「君待ち」では待つ動作はするにせよ待つ意味を失ってしまったから、ただの抜け殻のような「待ち」になっているのがあまりに切ない。陰鬱と悲哀な情感があるコーラスワークのせいか、いっそ物悲しさが増幅されているように感じました。
それと、
そして歪む空信じたいもの 必要ない
上記のフレーズが歌われる3分頃からのいったんギター音だけになってベースと歌声がユニゾンするCメロは聞きどころでしょう。ここのギターサウンド、オールで舟をこぎだすような動的な響きをしていて動きを予感させるのに、タイトルの「君待ち」と歌詞による静のイメージと混ざり合うのも面白いところ。
「君待ち」を一言で表すならば、待つの末路。待つことの静のイメージと、待っているときの感情の激しい動き、そういう対比も連想されて面白くて聞けば聞くほど好きになっていく曲です。