単行のカナリア

感じて想する

Syrup16gの曲レビュー「(I can't) Change the world」


 唐突に再開するSyrup16gの曲レビュー「(I can't) Change the world」。

広い普通の心をくれないか

 
 タイトルの壮大さに比べると、歌詞は日常のなかで展開される悲しさや願いで占められている。半径数メートルに収まってしまうような世界であり、その世界ですら私は変えることはできないという話。

 「(I can't) Change the world」は、耳を惹きつけるギターリフを中心にし、重心が低いサウンドスケープをサビでさらに重厚にしていく構成。派手さはないけれど、派手ではないからこそ「I can't Change the world」のスケールが大きいのか小さいのか掴みにくいフレーズが日常の延長線として捉えることできます。

 たとえば、エリッククラプトンの「Change the world」。この曲では「もし世界を変えることができたのならば」と願望が歌われ、一方でSyrup16gの「(I can't) Change the world」はかっこで括った補足によってタイトルの意味は一変してまず「世界を変えることができない」と諦観から始まります。

 さらに世界を変えることができないことは承知しているから、せめて「普通の広い心が欲しい」「夢は君の中で永遠に生きつづけることさ」と願いはささやかなものになっていく。しかし、それらの願いですら叶えられるのは困難のようで。何度も諦観のフレーズが繰りかえされるのを聞いていると物悲しさを感じる。

死ねないことに気付いて
当たり前に黄昏て

 成就されない願望は呪いのようなもの。その呪いにうちひしがれて絶望するも当たり前に死ねない。自分だけで完結する世界すら変えることができない。もうそうなったときは黄昏るしかなく、諦観はどこまでも広がっていく。
 おまけに「癒えない傷を負って頭は悪くなるばかり」と状況は悪化しづづけて、また「春の温かさは僕から言葉を奪って」いくのは、春が美しいからではなく別れや死別の季節と解釈すれば、さらにシリアスな曲と捉えることができる。ただ、これは一意敵な読みで、春はたぶんそんなに悪いものではない。
 
 感情を押し殺すように歌いあげられる様は、アルペジオの儚い響きも作用して、切なさメーターを振りきってしまいます。「(I can't) Change the world」の感傷のムードは、なんというかよく分かります。なぜなら「I can't Change the world」だから。変えられてしまうけれど変えることは実感には存在しません。

理非道・愛・嘘・刹那
汗・臭い・朝の光


 こうした諦観のなかで生を実感させるフレーズがふと登場します。抽象的な言葉から始まり、五感をともなう言葉を経て、朝の光が眩しい風景にたどり着く。ただ単語を並べているだけなのにそこに多大な感傷を読みとれる素敵なフレーズ。お気に入りの箇所でもある。

朝はまた嘘をついた
あしたはもっと狡く


 さらに迎えた朝の光に希望を見いだそうとするもただの幻想で嘘をつかれ、もっと狡くなることで自分を騙すことで生活をやっていかなければならない……と出口はありません。

人は何を望めばいい
全てを失ってもなお
I can't Change the world


 そしてまたI can't Change the worldと、何度自分に言い聞かせても諦観しきることができずに宙づりになっていて。割りきることができないからひたすらI can't Change the worldと言葉を費やしてしまって、曲中ずっと悲しみだけは伝わってくるわけです。やるせない。

 世界は変えられないし、その癖に望んでいないほうへ変わっていくし、そんな日々のなかで何を望めばいいのでしょう。何度望んで、何度叶わなかったことか。ただ世界を変えることができないと自分に言い聞かせて受けれいることで精一杯……といってみれば感傷の曲で、感傷なんてもんは他人から一笑されて終わりだけれど、無力感に端を発する感傷は他人事ではないから巻き込まれる。