異様な語彙力によるモノローグを堪能できる「ふたりモノローグ」を紹介します。全六巻。完結済み。
ツナミノユウ@tsunaminozazen隣のギャルが実は小1のとき喧嘩別れした親友だった① https://t.co/VVaMn9thrh
2018/12/14 21:17:37
モノローグの魅力
「ふたりモノローグ」は、影の薄い麻積村ひなたと、ギャルオブザギャルの御厨みかげを主役にしたハートフルラブコメディ。しかし、ここでのハートフルは、hurtful(痛ましい)まで達しており、心に秘める愛の質量の巨大さとそれを表現するモノローグの饒舌さがすごくすごい。ストーリーの構造そのものは、少女と少女の良質な百合の話。にもかかわらず、前述のモノローグと戯画的なタッチでぶっとばして表現するせいで、ホラーマンガ、クレイジーサイコレズなど呼ばれることもあります。
今作の最大の特徴は、愛情表現の極にまで達してしまったモノローグでしょう。 とくに御厨みかげのそれは尋常ではない。一例を挙げれば、ひなたに眼鏡を選んであげたかったと気持ちを抱いたみかげが、その恐れおおさを表現するシーンでの「神が描いた絵(ひなたの顔)の額縁(メガネ)なんて誰に選べるというのか?」()は補足。 これ、まさにファンの語源の由来である「fanatic(狂信者)」そのものですね。
たとえば、思いがつよすぎて日常の一コマさえも壮大なものに思えてくる破壊力……。
こう、映画のラストシーンで自分が倒した外来生物はじつは人間だと知ったきの慟哭の表情……みたいな何かとんでもないことが起きているように描かれていますが(当事者にとってはとんでもないことでしょうけど)、事実は「リュックの肩ひものねじれ」があっただけという。途中まではだいたいがこんな調子で、御厨みかげ視点では麻積村ひなたの一挙一動に感動して信仰して、内心の自由枠限度のモノローグを暴走させていきます。
「ふたりモノローグ」のモノローグの象徴的ともいえるのが以下のシーン。
上の画像にあるように、麻積村ひなたの尊さを表現するために、神や太陽といった言葉が頻繁に使われます。「推し」や「尊さ」といったネットジャーゴンと接近してはいますが、その過剰さはもはや別物であり「ふたりモノローグ」文法と呼ぶべきものが生成されています。
私はこのモノローグを心底気にいっていて、その表現は極限まで洗練(凶悪化)されているせいで、サイコやホラーと呼ばれる領域まで達しています。こういうシーン、三桁ほどあり、そのどれもが驚異的。
ここで少し饒舌なモノローグについて掘りさげて考えてみます。
モノローグの表現に共通するのが、神や太陽など無限遠のものを持ちだすこと(=不可侵)。それと「名詞+み」のように、対象から自分を距離を置く表現(下に引用)。
欲求や共感といった感情は,そのまま表に出すと生々しさや主張の強さを感じます。「うれしい」のような感情を名詞化し,「うれしみ{がある/が深い/を感じる}」のように分析的に表現することによって,自分から距離を置いた形で,婉曲的に表現する効果が生まれます。
若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」はどこから来ているものですか
インターネットのSNSで「良さ」を語るときに増えてきた語法を吸収し、発展させ、ついには上記の画像のようにふたつを合わせて「神み」といった言葉まで登場。漫画的表現のリアクションの壮大さに、言葉がまったく負けず劣らずなのは感嘆するしかない。
ここまで紹介したモノローグの数々、いわば「私にとってはあなたはあまりに眩しすぎて、私の存在に関係なくあなたはすばらしい」といったもの。ようするに、関係性のなかで見いだす「良さ」ではなく、対象そのものが持つ「良さ」に留まっているのも注目する点でしょう。
高低差のはげしいすれ違い
一方で、麻積村ひなた視点では 自分が御厨みかげの隣にいる価値があるのかと葛藤が主軸になっています。挙句、ひなたは空回りしている自分を卑下することすらあります。なぜならば「モノローグ」は言葉にだされず、気持ちが伝わることはないから。
この模様、いわばすれ違いの展開の一種になりますが、興味深いのはその非対称性の溝の深さ。
例えば、ひなたが眼鏡をかけて登校したシーンにおいて、ひなたは「わざわざ眼鏡をかけてきてイジッてもらおうなんて自分は厚かましすぎる」と恥じている側では、みかげが「本人から発露するひなた美を自ら飾ってくれている―――」と歓喜のあまりトリップしており、すれ違いにもほどがある。
ひなた視点
みかげ視点
とまあ序盤では、ほほえましくスリラーな日常がつづきます。が、しかし、修学旅行という一大イベントのなかでの騒動によって、ふたりの関係性は発展を強いられてしまう。いったん友人の重力圏内から飛びでてしまった関係性は現状維持すら困難で、モノローグを乗りこえて決断を迫られることになっていきます。
そもそもが、御厨みかげのモノローグは個人に向けた愛の変奏で、その愛は叶うことを願ってしまうから、安寧のなかで時間をループしつづけるなんてドラマはありえないわけです。といっても、みかげはひなたを神格化しているように、その距離感に慎重になってはいますが。
進展する関係性
話は変わって、みかげがひなたにメイクをしたときの内心。
上記のシーン、ギャグとして処理してしまいそうな過激さがありますが、本作ではギャグではなく嘘偽りのない本心の温度として描かれます。この手の葛藤も多々あり、モノローグを自由自在に展開し、ラブとコメディの両面において活かしきっています。
で、序盤では御厨みかげのモノローグはひたすらおもしろく読み進めていても、イベントがあり、関係性が発展することで、彼女が麻積村ひなたという光を真正面から受けとめざるえなくなることで、自身の「ダメさ」や「欲望の不自由さ」などの闇も立ちあがってきます。
syrup16gの「生きているよりマシさ」に「もう君と話すには俺はショボ過ぎて 簡単な言い訳も思いつかないんだ」という好きな歌詞があります。それと似て、みかげの内心の葛藤や自信のなさは切実で、彼女の思いの強さを思い知らされているからこそ心をえぐられます。巨大な感情は迷走し、ときには虚無へ。
過剰な「モノローグ」を浴びたおかげで、口に出されたら取り返しがつかない「ダイアローグ」の存在感が高まり、その非対称性を活かした構造もまた魅力的。そしてそのとき、愛というか熱狂というか、とにかく巨大な感情のやり取りが行われるのでスリリングなストーリーでもあるわけです。
ふたりモノローグ
これは紹介記事の体なので、その先の詳しい展開について省きます。
ただ苦難の先には、最高のハートフルコメディと、ふたりの進化しつづけるモノローグが待っています。彼女たち以外のサイドキャラクターも魅力的で、麻積村ひなたと御厨みかげの密室の関係性をこじ開けようとやってくる、無邪気に接するスポーツマンや被虐性欲をこじらせている少女などが登場し、そこの関係性も良質。某VTuberの言葉を借りると「良質な百合」が咲き誇っている漫画なのです。
「ふたりモノローグ」を読んでいると、想うことの強さとともに危なさも伝わってきて、その両輪があってこそのストーリーで、「モノローグ」が行きつく先の結末にこころを打たれるのでしょう。展開そのものは王道でありながら、その表現の方法が書いたように過剰。漫画を読みながら「よくそんな褒め言葉を思いついたな!」と絶えず感心していました。
あと、この異常で素敵なモノローグを手掛けているかたが気になって、作者のツイッターを見ていたらなるほどこの漫画の作者だな!……と納得。
ツナミノユウ@tsunaminozazenアルフォートが………………減る……………………私のおやつの主力が……………………………………私の支えが足りなかったのか………………もっと食べていれば………倍食べていればあるいは…こんなことにはならなかったかも…………すまない…………………………………アルフォート………………………
2019/08/20 19:45:29
なるほど。
「ふたりモノローグ」、さいしょはこんなクレイジーでハートフルな話とは予想できなかった。たまに全巻無料試し読みも開催されており、私はそこで知り、またモノローグの禁断症状に陥って全巻買いなおしました。注意すべき点は、ミーム汚染力が高すぎてしばらく語彙がおかしくなってしまう恐れがあります。まあ結局、一周してやっぱりハートフルラブコメディなんだなー、と。
kindleでマンガを読みながらめっちゃスクショを撮っていたのですが、ちょうどこの季節に相応しい「モノローグ」があったので紹介します。
もう最近では……特集能力持ちのギャルが増えているからおどろかないと思ったけど………御厨みかげの表現力の凄みが深すぎる……………。excellent……………………。