単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

10年前の俺が抱いた疑問に、10年後の俺が回答するだけの記事

 はてなブログに引っ越すときに、ブログの下書きを整理していたら、10年前の当時の俺が疑問を書き並べた記事を見つけた。いい機会だからこれに答えてみようと思う。話題は趣味、人生、ブログ、文章の4つ。

 補足、当時は音楽やアニメの感想を書きはじめたころで、何を書くにも苦労し「やばいやばいやばい」と書いていて、文章についてMK2さん(いまはきえたコンビニ店長)に相談したら、「やばいとだけ書いても何がやばいか分かりません」とアドバイスをもらって、「なるほど~!!」と思ってたそういう頃。
 
 10年前の質問は、主語や範囲があいまいすぎるせいで、どう回答すればいいか困ってしまうだめな質問のいい見本になります。

趣味

・ネタバレをされたときにでも作品をより楽しむ方法はなにか。

 確かに、ネタバレをされると魅力が半減する作品は存在する。叙述トリックがある作品(小説やノベルゲーム)は言うまでもない。だから「ネタバレされてつまらなくなるくらいならそもそもその程度の作品だよ」という発言にはあまり同意できない。
 
 で、その方法は「忘れるまで待つ」ことだ。
  UNDERTALEが発売されたとき、俺はゲームに関心がなくプレイする予定もなかったからネタバレ記事を読んでしまったが、数年後には忘れていた。そしてその機会に手に取ってプレイしたら、衝撃を受けた。と、この回答は自分が記憶力が悪いおかげかもしれない。


・メロディーがいいとは具体的にどういうことか。

 回答不能。最近、メロディーめっちゃいいなと思ったのが、GRAPEVINEの「Alright」。一生いいメロディーと感じると確信できるのはAphex Twinの「Xtal」。


GRAPEVINE - Alright (Music Video)

 


Aphex Twin - Xtal




・アニソンが楽曲的に面白い、という言論を評価するために必要な音楽知識はどれくらいいるのか。
 
 これ、いかに難しいかのいい具体例があって、「灼熱スイッチ」を聞いてそのコードの素晴らしさを評価できるかどうかが目安になる。その点、俺はまったく分からないんだけれど。解説を見ていると分かったような気になるが、そこで学んだことが応用されることはない。何も分からない。  




 


・歌詞とサウンドは不可分ではあるけれども、どの程度なら切り離して考えてもいいのだろうか。 

 おそらく「切り離す」が意味しているのは、歌詞とサウンドをそれ単体で評価するということだろう。それならば、考えるだけならば好きにすればいいとしか言えない。
  
 ただ例えば、CRYAMYの「普通」のサビ、「変わらずじまいはとうに通用せずに もう二度とは会えないね」では、「とうに」と「もう二」で語感を揃えているのがおもしろいように、歌詞がどのように歌唱されるかは字面のみでは分からないから、切り離して考えたあとは総合してまた考えを深めるといいと思う。


・レビューをするときの面白い切り口はなにかないだろうか。
 
 これに関しては、「声の文化と文字の文化」からありがたい言葉を引用しよう。

詩人のウィットとは、「しょっちゅう人びとの脳裏に浮かぶような平凡なこと」でも、「こんなに上手に言いあらわされたことはこれまで一度もなかった」と読者に思わせるようなしかたでそれを表現できることでなければならない、と。

 あとMK2さんが「どのような感想でも自分を掘り下げた書いた分取は、それは必ずあなただけの切り口になる、大事なのは深さだ」みたいなことを書いていて、つまり切り口は事後的に評価されるかもしれないが、それを事前に意識しても仕方がない、という話。

・鳥肌が立つほどとてつもなく感動をしたとき、それをどうやって言葉にすればいいのか
 
 いわゆるレトリック問題で、いい回答は思いつかない。というかいまの俺も是非とも教えてほしい。ただ何度も書きつづけることを通じて、自分がそれまで意識することができなかった思いを発見できることがあり、そのとき形になった言葉は感情に接近しているものだとも思う。 

人生

・日常生活でどういった意識をすれば、より多くの経験値を得ることができるのか。
 
 まだテイレベルなので10年後の俺に期待しましょう。コミュニケーションに関しては、二大ルール「一門二答」と「相手に聞かれたことは相手に聞いてもいい、逆も然り」を意識することで、まあなんとか生き延びている。 


・「考える」から「悩む」になってしまったとき、いかにしてそれを気付けるか
 
 これ、だいぶ前に、「イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」」を読んで、「悩む」を無理やり「考える」に転換できるようになった。この本は、まず問題の設定こそが何より重要で、問題そのものに「悩む」ことが決定づけられている(=解決できない)ことがあると学んだ。
 


・説明はどちらかいうならば過剰であるべきか、もしくは不足であるべきか。

 大ざっぱすぎる適切でない質問に対してまともな回答を出すのが難しいと分かる、一例。

・眠気による作業効率の低下を防ぐためにはどうすればいよいか。

 コンサータ! ストラテラ! カフェイン! 自傷! あとうるさくてはやい曲を大音量で聞く。ここ数年の、うるさくてはやい曲のオススメ。

 



 この手のバンドだと、さいきんではCounterparts、Drfeater、Birds In Rowが好みだった。でもハードコアで一番好きなのはENVYのアルバム「君の靴と未来」。ライブも行って、2m強あるダイバーに潰されかけた思い出。


・感性を磨くためには。
 
 感性が磨かれる、というのがよく分からない。調べてみたところ、感性の磨き方の多くが「新しいことをしろ」といったものだった。
 
 ただ知識が増えればより楽しむことができるタイプの作品というのは確かにある。最近やったエロゲの「素晴らしき日々~不連続存在~」、「サクラノ詩」では独我論がテーマのひとつにあり、あとで調べることでより理解度が増し楽しめた。事後的に理解することでもそう違いはないので、だから何も気にせずに、音楽なら聴きつづければいいしエロゲーならクリックしつづければいい、と思う。



・落ち込んでしまったときどうすれば素早く立ち直ることができるか。

 最近も話題になってた。まあ、精神科にいって精神安定剤を処方してもらうのが最適解でしょう。以前の俺は、死に関する本を読み漁って「いずれ死ぬ」ことの自覚を徹底的にし、死によって終わること救いであると自然に思えるようになった。ただしその過程の苦痛は理性でどうこうできるもんじゃないが。

 
 

・自分より優れたものを見たときなにを考えて落ち込むことを防ぐことできるのか。
 
 いまでは、自分より優れたものばかりなので落ち込むはなくなった。落ち込むのは「もしかすると自分がそこに到達していた可能性」を少しでも心に秘めているからなのでは? ないよ、それは。安心してほしい。

 ただ金に関しては別で、金銭的理由でせっかくの機会を失ってしまったときは落ち込むし、自分の無能さ・怠惰さなどもろもろが嫌になるよね。

ブログ

・もしこのブログに面白さがあるとしたら、その面白さはいったいどこにあるのか。

 自分では判断することはできない。客観的な指標の数字をみれば、アクセス数は減りつづけているのでこのブログにあまり面白さはないのかもしれない。ただありがたいことに、読者のような方(俺の妄想かもしれないが)と思っている方もいるので、面白さが皆無ってこともないだろう。

 ただそもそもが、読んでもらえるから書くわけではなく、書くと読んでもらえることがあるだけなので、何も気にすることはない。


・自己の満足と他人の満足を両立させるためにどうすればいいか。

 教えて欲しい。

・どういった基準では拍手をするのか。(補足、当時はブログの反応を知る方法として、拍手ボタンというものがあった。教えて欲しい。)

 教えて欲しい。

・コメントをしたくなる記事とはどういうものか。

 教えて欲しい。

・面白いネタとはなにか。

 教えて欲しい。

文章

・分かりやすい文章にするために留意すべきことはなにか。
 
 まったくできていないが、主張の論理構造、「てにはを」の正確さ、接続詞の活用、そして誤字脱字の少なさ、あとリズム。

 なかでも接続詞が貧弱・不正確だと、複雑な主張の文章を組み立てることができないので大事だな、といま思った。

・文章力の要素とか。その総体の中でもなにが重要視されるか。
 
 人によるが、俺は舞城王太郎のドライブ感がある文章と、瀬戸口廉也/唐辺葉人の空笑いのようなモノローグが好き。真似はしない。
 

・すらすら書ける感覚をいつでも思い出せるようにするためにはどうしたらいいか。

 いまの俺が持ってない感覚を、当時の俺が持っていたことに驚いた。いつそんな感覚を手にしていたのか……。いつその感覚を失ってしまったのだろうか……。

・人の感情に訴えかえる文章とか。

 ただ感情に訴えかけるだけならば、不安を狙って煽動するとか、自己の嫌悪感を社会理念にすり替えることで相手に不快感を与える、とかが最適解になってしまうので、よくない。


・面白い文章を書くために意識すること。
  
 過去の俺の文章とブログの質問のすべてにおいて言えるのが、「誰に向けて書いているのか」という話で、読んでもらえる対象は不特定なのにその不特定に固有の評価をしてもらいたい、という願望が明け透け。

 

 10年前といえばブログに質問バトンがあった時代で、とても懐かしい気持ちになった。質問バトンが回ってこなくても、時間の経過によって俺と俺の間でバトンが成立することもあるのだ。