単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』を読んだ

 

 小川一水の小説はだいたい読んでいて、『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』は未読だったので読んだ。  

人類が宇宙へ広がってから6000年。辺境の巨大ガス惑星では、都市型宇宙船に住む周回者(サークス)たちが、大気を泳ぐ昏魚(ベッシュ)を捕えて暮らしていた。男女の夫婦者が漁をすると定められた社会で振られてばかりだった漁師のテラは、謎の家出少女ダイオードと出逢い、異例の女性ペアで強力な礎柱船(ピラーボート)に乗り組む。体格も性格も正反対のふたりは、誰も予想しなかった漁獲をあげることに――。

 今作は、百合SFアンソロジー「アステリズムに花束を」に集録されていた短編に加筆して作品らしい。百合と紹介されている本を読むのは初めてかもしれない。

 

 今作の宇宙進出から6000年後の世界は、限られた資源の中で生を維持するために、生産性が信仰される閉鎖的社会になっている。特に性愛は生産性の目的下でしっかりと管理されている。窮屈な世界が、未来でしかない宇宙の生態系のなかで描かれる。持続可能な社会のため、遺伝子的多様性の確保のため、互酬による所得の再分配のため。絶賛、再生産未来主義の真っただ中である。そのような社会で同性愛は「存在していない」。

 そういう舞台での百合SFになる。

 ここは狭い世界だ。広域文明から離れた、人口たかだが三〇万の小さな世界。因習に縛られた古い氏族社会。お見合いし、結婚し、子どもを生まされる人生。生きる道を人に決められ、それを拒めば別のことを強いられ、自由は常に人から与えられるか許されるもので、逃げれば撃たれる。

 百合といっても(そもそも俺は百合がいまいち分からないが)明け透けなものではない。(明け透けでないから良いとか悪いとかではない)。体格も氏族も正反対のふたりは、水面下で相手への思いを募らせていく。慣習や常識の枷を振りほどくのは容易ではなく、じれったくなるほどに結ばれない。

 とはいえ、今作はSFである。SFといえば、未知の邂逅や、新技術の発見によって、社会そのものが塗り替えられていく物語の定型がある。『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』はその定型に沿っている。

 予定調和というか、展開こそはストレートだが、そのきっかけの出来事はまさしく小川一水のSFといったものだった。SFの醍醐味であるところの、常識が塗り替えられるようなエポックメイキングがあり、そしてそれを機に二人の関係が進展していく。

 窮屈な慣習や世界を描いた上で、それまで予想もしなかった未来が到来する。なんというか、王道なのだ。王道の堂々としたSFだった。

 

  ところで、今作は百合SFと紹介されているが、「LGBT」の本をいくつか読んだかぎり、今作は同性愛やクィアの領域になるのではないかと感じた。ただ、百合について調べてもいまいち理解できなかったし、違いが区別できないし、つまりは分からない。