単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

親と子の関係が良くない人間による、親と子の関係性が悪かった自分語り

 
 感傷をぶちまけてしまったので下書きにしていたけれど、私が親子問題を語るときにこういった背景があると参考資料になりそうなので公開しておく。

 今日私が書くことは、親と子の関係が良くない人間による、親と子の関係性が悪い自分語りと、「親」の真似事を不器用にやりつすけた親がが動物園のバグで親の演技をやめて人間の顔を見せたときの話。画像は天王寺動物園でとくに関係ない。
 
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 私の母は、俗にいう毒親の典型的な存在だった。母は、世間体のいい親を演じることに一心になっていて、いい親と他人から評価されることを生きがいにしており、そこに執着する様はいささか異常なほどであった。少なくとも私にはそう思えた。
 
 母は田舎育ちの無学な人間だった。さらに善意から端を発した行動はすべて肯定されると信じている種類の素朴な人間だった。不幸の発端は、そんな母がたまたま運よく社会的地位が高い男と結婚してしまったこと。父と結婚するときに母は父の親族から反対されたと聞かされた。が、どうにか結婚にこじつけることができたらしく、これが不幸のはじまりだった。
 
 それから、母は父の嫁として相応しい世間体を得るために心血を注ぐことになった。しかし、母にはそれを全うするほどの器量を持ち合わせていなかったし、適切な努力をする方法も知らなかった。
 そのため母はかろうじて他者の前では理想の親を演じることを成しとげてはいたものの、家庭内においてそのしわ寄せがくることになってしまった。理想の親を演じた対価を子供たちに要求する。「私は苦労しているんだから、あなたたちは私の言うとおりにしろ、と。」 ある意味で天才的だった。良心の呵責なしにそれが出来るのだから。重荷は子供たち、なかでも私が背負わされることになる。

 狭い世間体を舞台に繰り広げられる母の拙い演技に、子供の私は自分なりに一生懸命付きあっていた。いや、付き合わざるえなかったが正しいのだろう。なにしろ、母の期待どおりの子供を演じることができないと、即座に母は不機嫌になり感情でコントロールしはじめ、さらに暴力を行使することもあり、また自死をほのめかして従わせようとしたくらい。だから従う以外の選択肢はない。そのときは一つもなかった。

 それに母を悲しませたくないという気持ちもあった。母はどうであっても母であるのだから。私は小さいころから母の演技に付き合うことでのみその存在が承認されているか弱い生き物であった。条件付きの愛ってやつ。けっしてあんなものを条件付きでも愛とは呼びたくないが。私には母がよく分からないぼんやりとしたものの奴隷のように見ていた。そのよく分からないぼんやりとしたものの正体は「世間体」や「自意識」ということは大分後になってから気づいた。なるほど、子供よりそれが大事だったんだ、と。
 
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 あるとき、よく晴れた日曜日に家族で動物園に行くことになった。これも小さいころの話。
 そこでも母はいつものように理想の親を演技していた。しかし演技がほんの少し破綻する瞬間が訪れることになる。それは母がバクを目にしたときだった。母はバクを目にすると歓声をあげて異様なテンションに近づいて行った。母は「こんな変な生き物がいるのか!」と無垢な子供のように驚愕し、いつもはどんよりとしていた目を爛々とさせてたった一人ではしゃいでいたのだ。
 母は、私にデジタルカメラを渡してバクと一緒に写真を撮ることをせがんで、その撮った写真を見ては嬉しそうな顔を見せていた。挙句の果てに、周りに人がいるなかでバクの一挙一動に「変なの!」とか「気持ち悪い!」とか楽しそうに罵倒を浴びせる一時すらあった。その後の日々のなかでも、ときおりバクの写真をぼんやりとした顔で眺める母を何度か見かけることがあった。


 あのときの母は、世間体から解放されて演技を放棄し、自らの感情のままに振舞っていた。
 そのとき、私の母もどこにでもいる人間のひとりだ、と当たり前のことを私は理解することになった。もしこれからも母があのときのように生きてくれるなら、私の日々の息苦しさも少しはマシになるのだろうと期待を抱いた。が、しかし、それはそのときだけの話に過ぎなかった。それ以降は、母は相変わらず世間体の奴隷になり、そしてあるとき限界がきて自殺未遂を繰り返すようになり、そこからよくある家庭崩壊が起こってしまった。よくある話。たいして面白くもない。

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 ハヌマーンの「バクのコックさん」という曲がある。この曲を聞いていたら、私は母が無邪気になったあの瞬間を思いだした。この曲の「生きるほど噓はかさ張っていく」という歌詞にあるように、自身の噓の重荷に耐えられなくなってしまった母だったが、バクを目にしたあの瞬間だけは噓から解放されていたように見えた。いまだに忘れない光景として心に深く刻まれている。救いの可能性を見出してまんまと裏切れられたあの日のことを。おそらくこれからもたびたび思いだすのだろう。懐古と苦痛の記憶として。

 まあしかし、母が自分を生んだ年になってみると、当時の母の立場や心情も少しずつ分かってくる。母には母の苦労があり相談する相手もおらず一人で抱え込み悪手を打ちつづけてしまったのはどうしようもなかったのだろう……と今なら言える。あえて言いたくはないが、言うことはもうできる。
 分かったところでどう頑張っても「生んでくれてありがとう」という日は来ることがなさそうだが、ただ親子の軋轢がテーマになっている作品(漫画、小説、映画含め)が好きでたまらなくなったのは救いだろう。いろいろな作品をそれだけで読めちゃうし、そのおかでいい出会いもあったから、まあ感性の贈り物としてはありがたい。すべて否定するにはもう疲れ果ててしまった。


 そして私は思う。
 人間はもっと人間の顔をしろ。人間を人間として扱え。「人生は舞台」って比喩でしかない。ただの比喩をマジに受け取らないでほしい。子どもは見世物じゃない。舞台の小道具でもない。下手な演技に付き合わされるこっちは苦痛でしかたがない。
 
 それに親子の関係性を、社会通念上の概念に立てこもることで不可侵領域を展開して、親の立場で一方的に攻撃するのは一方的で強すぎる。フェアではない。ゲームだったらクソだし、なにより物語だったら面白くない。だからこの物語はつまらなく、オチもなくてどうしようもない。