単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

親と子の関係が良くない人間による親と子の関係が悪い作品語り


 ツイッターで見かけた「親子の微妙な軋轢を的確に描写した男の漫画」が少ないという記事を読んで、唐突に親と子の軋轢・対立が出てくる作品について語りたくなった。

 思えば、私は家庭問題をこじらせすぎて家庭問題が出てくる作品がいつからか好きになっていたのだ。当初は現在進行形の苦痛の解決策を求めて、現在ではもう解決を放棄しているのでただの趣味として、いずれにせよ好きといえる。

 いまから挙げていく作品(漫画、小説)で描写される親と子の関係性のレベルは殺し合いから微妙な軋轢、またはノンフィクションの葛藤まで色々とある。しかしハッピーエンドの作品と過酷な家庭内暴力が出てくる作品はあまり出さない。どちらに振れすぎていても共感が届かず想像で掴みにくい。

 あとそもそもが上記の記事の趣旨とは関係ない。ただ親と子の関係性が良くない作品について語るだけで、このテーマで語りだすと止まらなくなる。私の感性のウィークポイントなのだろう。
 
  https://anond.hatelabo.jp/20190621015204(リンク)

音楽編

 音楽では、このテーマはほとんど聞くことがない。最古の記憶ではTHE BACK HORNの「ジョーカー」が「幸せな家族の風景、無理矢理口に詰め込まれ、好き嫌いはいけませんと母に笑って言いました」が思いだされるけど、これは親子よりかは親を含めた世間全般に対する憎しみの曲。

 このブログでよく書いているSyrup16gハヌマーンでは母に問いかけるような曲はあるが、ただ象徴的な扱いに留まっている。また、学生時代初期にハマっていたHIPHOPでは感謝こそすれど逆は記憶に覚えがない。確かかんしゃママっていうストレートな曲があり、その曲だけはMDの中から削除した思い出。
 
 pegmapの「ねーママ」という曲がある。歌詞で「『ねぇママ 神様はなぜ降りてこないの?』首をかしげてガキが尋ねる 『ほら見てよママ 目を背けないで』」と母親の欺瞞を糾弾している。「よい子は見ちゃいけません」への中指。が、これも親と子の関係性は問題になってはいない。




マンガ編

 元記事にあるように女性が主人公のマンガでは様々な親と子の関係を目にする。お気にいりの作品が多様な親と子の関係を描写してマンションが舞台の群像劇「プリセスメゾン」。人生の岐路に立った人々を描いていて、その選択がどれもありきたりと正反対のオーダーメイドライフでよかった。

 
 直接的なものだと「母がしんどい」や「毒親育ち」などがある。昔はよくこの手の本を読んで「ああいうのって自分の親だけじゃなかったんだ」と安らぎを求めていた。また「カルト宗教信じてました。」も新興宗教信者の二世に生まれた苦しみを描いており家庭内の問題は深かった。

 父と娘の関係性だと「酔うと化け物になる父がつらい」や「ど根性ガエルの娘」がある。父が化物化したときのどうしようもなさ、みんな違ってみんな苦しいね。

 最近読んだのは「彼方のアストラ」というSF漫画。遠い未来に起きるだろう最先端の私欲に翻弄される親子関係が出てくる。この作品を親子関係と書くのは誤読に近いだろうけれど私からすると親子関係なのだ。

 少ないが描写されているといえば「ベルセルク」や「トクサツガガガ」だってそうだ。他のコメントで思いだしたのが「GTO」。主人公が金属バットでぶっ飛ばせる手ごろな家庭問題がよく出てきたはず。

 このラインナップに育て親も含めるならば「惑星のさみだれ」も加えておきたい。ちなみに惑星のさみだれの「人と関わらず孤独にくらせと1日3回言い聞かされた。10年間で1万956回」のセリフが呪いをよく表している。このセリフは好きすぎてたまに暗唱している。

 で、この中でもっとも心に突き刺さったのは「惑星のさみだれ」の祖父と主人公の関係性である。そして上のセリフ。母が私に課した呪いや枷が分かりやすく表現されていて、今度から人に説明するときにこれを使えばいいんだと楽になった。
 

小説・ノンフィクション編

 めちゃくちゃある。調べたら特集されている記事もたくさん見つけた。そもそもが「父殺し」、「ファミリー・サーガ」は文学のメインストーリーと呼んでもいいテーマで、昔の作品でも今の作品でも多い。
 
 また凶悪犯罪者について書かれたノンフィクションはたいていが出自や家庭に問題を抱えているから、おそらく枚挙にいとまがない。ここで挙げるにはハードすぎるのだって多い。マイケル・ギルモアの殺人事件について身内からの視点で描写したノンフィクションの「心臓を貫かれて」も親子問題が出てくるし、個人的にもっとも共感してしまうのは「死刑でいいです」。救いがない。

 親子の対立でもっとも好きな小説は舞城王太郎の「奈良川サーガ」シリーズ一作目の「土か煙か食い物」だ。父とその息子たちの暴力の応酬が軽いノリと過激な描写で書かれていて、その家庭の居心地の悪さがまさしく私が体験してきたそのもの。また内容がおもしろくて人生で一番読みかえした回数が多い小説。

 ライトノベルにもある。江波光則の「パニッシュメント」は父親が新興宗教の教祖をしている設定から本格的で、作中ひたすらシリアスな雰囲気が蔓延していてよい。家庭に問題しかない。

 また母と息子についてに関して最高な本が、岸田秀の「心はなぜ苦しむのか」。この本はタイトル通りに苦しみや不安について対談形式で語りあう本なのだが、途中、岸田秀が「母はもう死んでいるがそれでも絶対に許せない」という展開になり、インタビュワーが「しかし許しましょう、あなたの心のために」と返答して対立する場面がある。さらにいえば中島義道の本でもときどき母親との確執について書かれている。これら二つの著者は、当時問題と取り組んでいたときに役に立った。どちらも「死んだとしても許すことができない」と主張していて、親と子のこじれた関係性に安易な解決法はないと勇気をもらった。

 

その他  

 親子問題の深刻さは、家庭の食事シーンがいかに不味そうかで判断できる。その点、「葛城事件」は最高に食事が不味そうだったからポイントが高い。親視点では「渇き」が暴力と謀略をもってして人間関係をやっていたよかった。

 洋画に関して、多くの作品を観てきたほうだと思うのだが、どうも親と子の関係というより他人と他人の人間関係と認識してしまっている。字幕のせいか、食卓に並ぶ食べ物が違うなのか、よく分からない。あとなんだかんだのハッピーエンドが多い。私は別にハッピーエンドそのものが嫌いなわけではなく、偶然が起こるなら不幸に傾いたほうが納得しやすいだけで、幸せになれる人は幸せになる展開のほうが違和感はない。

 アニメといえば最近見た女児向けアニメの「プリティーリズム・レインボーライブ」が母と娘、母と父親の微妙な軋轢を取り扱っていてすばらしかった。もちろん素敵な親も出てきてさいごにはみんな改心するのだが、そこまでの過程を丁寧に描写していたから評価は高い。しかもこれが子供が見ると考えると全国の子供のメンタルヘルス改善に貢献していると思う。「あなたのためを思っていってるよ」の呪いの魔法を解くための特効薬はあればあるほどいいから。


 映画もアニメも色々な作品で色々な親子の軋轢を見てきたはずなのにあまり覚えていない。理由はおそらくだが、私はこのテーマに出会うと立ち止まって考えが止まらなくなるので、作品の視聴のノイズになってしまうのを恐れて無意識でスルーしているかもしれない。私の感性のウィークポイントはあまりに脆弱で、そこを狙われると意識がすべて親と子の関係に持っていかれるから。
 

おわりに

 当の私の親と子の関係性はもう完全に停滞しきっている。あとは時間切れを待つだけの状況で、これからさきの進展は時間にすべて任せた。かつては親を憎悪や苦痛の元凶としか見ることができなかったが(こんな感じ)、もはや過去の話で現に作中な親と子の葛藤や戦争を見かけると楽しめる自分がいる。

 では、なぜ楽しめるのか。
 それは「アスペル・カノジョ」でも出てきたように「そう見えているから」だろう。ずっと見てきて知っている世界に似ているから親しみやすい、私にはいわば「あるある」の話なのだ。親と子が仲よく手を握るシーンよりも親が子を手でひっぱたくシーンのほうが見てきたから受けいれやすいそしてあまり見かけないからこそ、たまに出会うと心が落ち着くのだろう。絶賛恋愛中の人間がラブソングが心に響きやすいとか、久しぶりに聞いた曲にノスタルジーを感じるとか、きっとそんな感じ。

 まあそんな感じで、自分には語りだすと止まらなくなる話題がまだあると再確認できてうれしかった。といっても書く人も読む人もうれしくなるような話題ではないけれどね。