単行のカナリア

感じて想する

Syrup16gの曲レビュー「神のカルマ」


 Syrup16gの曲レビュー「神のカルマ」。
  
 Syrup16gの曲、思い入れがありすぎて聞いていると冷静でいられくなって、過去の思い出と密接に絡みすぎて言葉で切り離せない曲があるんだけど、「神のカルマ」はまさにそれ。ほんとこの曲は思い入れと思い出がありすぎてまともレビューできない。まず最高の曲と断言することにして、話はそこから始めたい。カラオケに行ったときは絶対に歌う。イントロの心電図みたいなベースからテンションが跳ね上がるし、ライブで聞いたときなんか私含めてみんな熱狂してたし。そもそも盛りあがらないわけがない。ないよね? ないよ。

 神のカルマといえば忘れられない思い出があって、はじめてパニック発作を起こしたときにひたすら聞いていたんだよね。その夜は、いつも通りに苦しくていつも通りに眠れなかったんだけど、何かの限度に達してついに脳がおかしくなった。頭のなかが真っ白になって「ヤバい」という警戒の感情だけが増幅していって、冷や汗と呼吸困難と正体不明の不安でガクガクと震えていた。人間、マンガみたいな怯え方するんだなってそのとき思ってた。で、このままじゃヤバいから何かしなきゃでで何かしたのが、この曲を爆音でずっとリピートすることだった。正確にいえばこの曲と「末期症状」を聞いていたんだけど、まず聞こうと思ったのが選んだのが「神のカルマ」だった。

 自分でも驚いた。ただただ苦しいときに選んだ曲が「神のカルマ」だったのが。多分、私にとって「訳が分からない苦痛や不安」が象徴化されたのがこの曲なんだと思う。「これは何だ 神のカルマ」ってまさにどうしようもない苦痛についてだし。自分ではどうにもできない領域に苦痛があり、それは神のカルマのようなもんだとしてもさ、苦痛はそのままで苦痛でありつづけるわけよ。苦痛がやってきたところを知ってもなんの慰めにはならない。いい言葉がある、「発病の論理と治療の論理は違う」。だから納得はできるけれど。脳おかしくなったときに、どうしようもないカルマだからそんなもん払う必要はないんだれど、苦痛があるから心療内科に通院しないといけないし、そんな状態では決断なんてできなくて最新ビデオとか数十本しかないのにどれをレンタルすればいいか分からなくなるわけよ。安定してからも決定的に安心が喪われてしまった感じがあった。決断力は有限。時間も有限。太陽だって有限。なのに苦しみや不安って無限みたいにやってくるし、仲間を連れてくるし際限はないし、もう訳分かんないよねって話になる。

 サビの「サイレンが聞こえてもまだ 歌うたってもいいの?」「細菌ガスにむせながら 歌うたってもいいの?」はヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を思いださせる。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない

およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。

 って言葉がある。
 「歌うたってもいいの?」って答えは「もちろん歌ってもいい」だ。私たちはカナリアじゃないんだから危機的状的でも口を噤む必要はない。苦しみだって痛みだって不安だって歌にしていいんだし、Syrup16gは歌にしてくれているのだ。引用はしたが、さすがに強制収容所を自分が置かれた環境に例えるほどうぬぼれはていない。ただ脳がバグったときに発生する恐怖、それこそ薬がないとやってけないほどの不安は、他と比べてどうこうなるもんじゃない。みんな苦しくてみんなしんどい。脳がバグって辛すぎると、ほんと死んじまいたいって気持ちになる。ただそのときでも脳の安全機構は働くから暴力的なのは嫌。真っ最中だと退屈できないからこそ、そうなる前に退屈しすぎで死んじまいたいんだろうな。

 で、話変わるけれど、たしかに挨拶はリズムゲーみたいなものだ。私はそれがうまくできない。「要はそういうタイミング」の、HELLOっていうタイミングがよく分からない。うまくいかない。GOODが出ない。そういう小さなつまづきばっかの人生だと「階段を登っている 毎日少しずつ落ちていく」ってフレーズよく分かる。一歩進んで二歩下がるじゃないけど、階段上ってるとつまづくから落ちていくんだよね。それを「つまづくのは登っているからこそ」って前向きに捉えることもできるかもしれないけど、そんなのおためごしだよね。階段、べつに登りたくて登っているわけじゃないけど、強制スクロールでその場に立ち止まったらゲームオーバーになる。もうなってるもしれんが。階段、登らなきゃいけないから登っていて、そして落ちていく。そこには底はない。

 再度、ヴィクトール・E・フランクルの名言を引用。

苦難と死は人生を無駄にしない。
そもそも苦難と死こそが人生を意味あるものにする。
 分かった。苦難と死が大事なのは分かった。しかし苦難はほどほどにしてほしい。耐えきれないそれは、試練ではなく拷問だ。意味を見いだすのに苦労するし、それだけで一生が終わりかねない。せめて最新ビデオの棚の前で1時間かけたら何を借りるか選べるくらいの意志を残しておいてくれ。誰に言えばいいか分からないから、目についた神に言ってもしまう。訳分からない苦しみを背負わされた責任をそいつに押しつけて落ち着きたい。幸せを祈願するのだって苦しみを転嫁するのだってそう変わらないさ。

 初めていった心療内科には静かにJAZZがかかっていた。たえず曲を聞いていたから鼓膜は空いてはいなかった。にしたって息が出来ないの、ほんとつらいよなー。最近は第三世代認知行動療法とかいって呼吸を意識するマインドフルネス療法とか流行ってるけどさ、呼吸できなくなったらマインドもフルネスもないからどうしようもない。でも音楽は聞ける。

 最後に。細菌ガスにむせているのがカナリアだったらその習性で囀ることはできないんだけど、私たちは人間なので細菌ガスにむせながらでも歌うことができる。だからなんだって話ではあるものの、まあ歌うことと聞くことはその気になればいつでも出来るわけで、それはささやかな救済措置なのでよかったですね。