単行のカナリア

感じて想する

2.インディーズの〇〇という表現について

たまに「インディーズの〇〇」という表現を見かける。

例を挙げれば、インディーズの警察やインディーズの車掌など。その意味を推測すれば、「その資格を有していない(公的な許可を得ていない)のに勝手に本職の真似事をやっている」だろうか。インディーズという言葉が芸術方面で使われるときの文脈とはやや異なるようだ。

 

わたしが初めて目にしたのはまくるめさんという方の記事。

note.com

 
で、先日読んでいた根本敬の「人生解毒波止場」で、同じく「インディーズの〇〇」という表現が使われていた。

かつては質屋をしていたという主は、数年前に何がどうしたのか、とにかく発心。そして、なんでもない自分の家の堀にペンキで「実弘寺」と書き殴り、自ら住職に収まった。

もちろん公の仏教業界には認知されていない、インディーズのお寺である。

この本は1995年刊行なので、「インディーズの〇〇」は25年以上前から使われている表現のようだ。twitterで検索してみたところ、以前から多少はあったが近年でやや増加しているようだ。

 

ところで、「人生解毒波止場」のあとがきで、このようなインディーズの行為をする人々に対して以下のように書いている。

彼らは皆、今もなお膨張を続けるそれぞれの宇宙の中で生き、勝新律、奥崎律、川西律といった、当人しか成り立たぬ「」を持ち、自分自身をルールにドラマチックな自己完結をしている。

 

ここで一つや二つくらいわたしの「インディーズの〇〇」に該当する体験談を書くことができれば話はつづくのだが、特に思いつかない。だからこの表現を気に入ったところで日常生活で使いどころがない。

 

尼崎で数年前に撮影したこのキャラクターを「インディーズのミッキー」と呼ぶのはなにが違う気がするし。

f:id:dnimmind:20200207133010j:plain

 

吹田市の交差点で見かけたフェンスに掛けられていた灰皿をインディーズの喫煙所と呼ぶのもなにかしっくりこない。大阪には公園や街角にこのような灰皿がたくさんあった。いまどうなっているか知らないが、いまでも大阪は歩きたばこが多いとニュースで知った。絶賛SHIKEMOKU CITY OSAKAらしい。

f:id:dnimmind:20200207133706j:plain

 

「インディーズの〇〇」、類語でいえば、もぐりの〇〇/闇〇〇/密〇/海賊版などだろう。

twitterで「インディーズの〇〇」の使い道を調べてみたら、「インディーズの医者」と見かけた。これに関しては、「モグリの医者/闇医者」といったほうが相応しいのでは。「インディーズの酒」も見かけたがそれは「密造酒」が適切のような。ちなみに「インディーズの教育実習生」といえば某名作ノベルゲームがある。

そうなると、「密〇」と「もぐりの」といった言葉(海賊版もまた)と「インディーズの〇〇」の違いは何だろう。おそらくインディーズでやったら犯罪になりそうな違法性が高いかどうかで使われやすさが変わる。違法性が高く、取り締まり対象として認識されているときはこの表現は使われていないっぽい。インディーズの漁師というよりかは、密漁しているといったかんじで。

 

不適切なインディーズの使用例。

さいころ、俺の家にインディーズの神がやってきたことがあった。そいつの影響で、母が変な三角のシール(エスパーシールっぽいやつ)を食器や家具に、見境なくぺたぺたと張っていた。食器を裏がえしたときに三角シールを目にして、なにやらこれが母が意味わからないことをのたまう理由に関わっているのだろうと、ガキの俺はぼんやり理解していた。シールを張って高い数珠つけていればなにかしらのパワーを手にして人生うまくいく、なんて言葉に納得がいくわけもなく、無邪気にシールを張りつづける母がとても不気味だった。そこにドラマチックな自己完結はなく、凡庸な他者依存があっただけ。よくあるつまらない話でしかない。俺は運が良く、インディーズの神とインディーズの母に洗脳されることはなかったので、20歳くらいのころに実家にあったシール付き皿を叩き割った。割れて散らばった白い皿を母が怒号をあげながら拾い集めるシーンは、俺の人生においてはなかなかドラマチックなシーンだったといえるが、皿を割るときに母にぶつけて赤色を添えればもっとドラマチックになったんではなかろうかとほんの少しだけ後悔している。