単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

3.

 

 冒頭の一文から読んでよかったな、と思った。

最初に断言しておきたい。「『死ぬ死ぬ』と言う奴に限って死なない。」という通説は迷信以外の何もでもない。

 

 ケスラーの大規模疫学調査によって、自殺念慮を抱いたことのある者の二十五%が実際に自殺企図におよんだ経験があったことが明らかになったとある。

 「死ぬ死ぬいうやつは死なない」は迷信という点に一点の曇りもなく同意するが、「死にたい」という発言の有無と「死にたい」という考えの自殺念慮を同一のものとして扱っているのは少し引っかかった。「死にたい」と口にすることと、「死にたい」という自殺念慮を抱くことの間にある溝は、存外深いのではないか。むしろ「死にたい」と言えない人のほうが圧倒的に多いのではないか、と思って読みすすめていたら、対策で重点を置いていることに「死にたい」というSOSを発することをしない高リスク集団をいかに早期発見し、支援に繋げられるかがあって安心した。

 

 ところで「自殺予防の最前線」はいったいどこなのだろう。診療現場以外となると、どこが最前線となっているのか。俺にはすぐには思いつかない。

 この本では、現に支援者が行ってきた取り組みや聞き取ったエピソードが寄稿されている。その現場となる最前線、電話相談、救急病院での未遂者支援、緩和ケアといったものや、また障害者就労支援、薬局、債務整理、犯罪被害者、HIV陽性者支援など多岐にわたる。

 なるほど、と思う。それと同時に、スクールカウンセラーや芸能界については取り上げていないのか、とも思う。ただ紙幅の都合上の話だろう。俺にはまったく想定できない自殺の最前線だってきっとあるに違いない。

自殺には多様な原因があって、多様な人たちが自殺に追い込まれているわけですから、自殺対策には多様性がとても大事だと思うんです 

 なぜここまで様々な現場で自殺予防が実施されているかは、それこそが、自殺の背景にある当事者が抱えている問題の多様さを反映しているというわけだ。健康、家庭、経済、人間関係など(俺が到底思いつかないようななにか)の問題が混在し、広範で錯綜した原因はもつれにもつれて、いつしか「死にたい」という言葉や気持ちで表現される。

 

 実践知、支援の現場や取り組みには多様さはある一方で、その根幹となる「死にたい」に対する姿勢はほぼ一貫している。それはひたすらに「死にたい」という言葉に真摯に寄り添うこと。そして、「死にたい」とすら口にできない人に対しては、それを話し合える人間関係を構築することのようだ。

自殺予防のために必要なのは、「安心して『死にたい』といえる関係性だ」

 

 「死にたい」の背景にある問題は、解決されるほうが少ないのだろう。同じ作者の松本俊彦が『アルコールとうつ・自殺』で、「抗うつ薬には抗借金効果も抗失業効果もありません。やはり借金や失業といった根本的な問題を解決しなければ、問題は解決されません」と書いていたように。そこには包括的な対策が必要とされていて、最前線で行われる予防対策はあくまで「死にたい」という気持ちに寄り添うことが第一となる。まずは死なせないために話を聞くこと。すべてはそこからで、それが何より難しいのだから。

 だから「自殺の予防対策」ではドラマチックなエピソードはでてこない。それもまた自殺予防の難しさを表していると感じた。

 

 当然ながら、「死にたい」と口にすることができない当事者も多い。本書で隠された自殺念慮に気づくこともまた重要視されていてページを割かれている。

電話をかけてくれる、受診してくれることで救える可能性はある。しかしほとんどの型が電話もしないし、受診もしないまま、自殺を図って亡くなっていく。その数のほうが圧倒的に多く、それを救えないことが一番の問題なのだ。

 だから、死ぬ死ぬいってくれる人はむしろありがたいという意見まで出てくる。 

たとえば「境界性パーソナリティ障害」など、訴えや行動化が多くて「周囲を巻きこむ」「依存的」と支援者に敬遠されがちな人がいるが、どうやって関係を途切れさせずにつなぐか苦労する立場からは、このような人々はむしろありがたい。

 このような人々はむしろありがたいとは、なんというか、覚悟が違う。最前線というタイトルが相応しい本だった。

 

 死にたいのに生きていてどうなるのかという意見もあるだろう。それに関しては、

 ・自殺の決行寸前までいったのにもかかわらず、その約九割は七年後にも生存していたという追跡調査。

 ・「死にたい」という気持ちには大きな幅があり、そこには「生きたい」も含まれている。そもそも自殺念慮を抱く者の心理は両価的である。

 ・おそらく自殺を考える人は「死にたい」のではなく、「自分が抱えている困難な問題を解決したい」

 といったことが語られている。つまりは、人間の感情は曖昧模糊として揺らいでいて当てにならないという話である。また、自殺予防というタイトルからいって、現代社会においては特定の条件を満たさなければ「死にたい」は予防対象になるという話でもある。そりゃあ、まあそうなんだろうな。

 俺が小さいときに母が「死にたい」とよく口にしていた。次に続く言葉は「だから、あなたは私の言うとおりにしなさい」だった。俺は母にそのとき死んでほしかったという思いは今も変わらないが、そんなのごく稀なケースだろう。それに実際に母が実行していたら俺は取り返しのつかない後悔していたのかもしれない。よく分からない。だから俺は他人の「死にたい」に向きあうことが難しく、軽はずみなことを書いてしまいそうだから慎重にならないといけない。

 まあ「『死ぬ死ぬ』と言う奴に限って死なない。」という通説は迷信以外の何もでもない」ってことが強調されていて読んでよかった本だった。