単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

脳内高速連想ゲームを文章にできるようになる

 脳内高速連想ゲームを、文章に写し取ることができるようになってからというもの、なんかもう無限に文章が生成されていく。

 無限にブログを書ける。無限に話題が尽きない。そんな気持ちになっている。

 おれの頭の中でずっとやってる脳内高速連想ゲームは、注意欠陥多動性障害とまではないが、おそらくそのスペクトラム上ではそれに近い位置の現象だろう。

 とはいえ実生活に支障はあんまない。おれは障害を「社会モデル」として捉えているので、実生活にあんま支障がない以上は深刻に受けとりたくない。できれば、だけど。

 それに、俺はこのうるさい脳を対人関係においてコントロールできるようになっているし(沈黙というコミュニケーションの秘策)、そもそも部屋でひとりで脳内高速連想ゲームする分には問題はなさそう。

 強迫観念に悩まされていたときこそは、高橋源一郎の『ジョンレノンVS火星人』に登場する「すばらしい日本の戦争」というキャラクターの言葉のすべてが死のイメージになったように、不快や不安のイメージの連鎖反応を止めることができずに「脳から嫌がらせを受けている!脳に殺される!」としんどかった。

 今はただ、好きなものから好きなものへと連想しているだけ。ほんとに、ただの連想ゲーム。マジカルバナナやってるだけ。

 かれこれ十年以上ブログを書きつづけたおかげか、高速で切り替わっていく連想を文章に写し取れるようになった。だから、もう無限に書けそう、とか思ってしまう。この感じ、一体どこまでやれるのだろうか。いまは連想に形を与えられることが嬉しく、また楽しくて、ブログを書くことにハマっている。

 無限に、このしょうもなく、益体も生産性もない、おれががひとりで病的にやってしまっている連想ゲームを書き残したところで、とは感じつつある。

 が、ここでおれは例によって連想することで、二つの言葉を引用することができる。

 ひとつは、自己治癒のため。

 もうひとつは、生産性に抗うため。

 どちらも文筆家の木澤佐登志さんの文章で知った。どのような文脈の言葉かの詳細を忘れてしまったので、ここでひとまず連想は宙づりになり、今日だけで何度あったか分からない連想ゲームがひとつの区切りとなる。