単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

塗料でカラフルになった作業着のままa flood of circleのライブにいって中指を眺めていた

 作話かもしれない。会話とか覚えているわけがない。注意欠如の記憶は場面が飛び飛びだから、ひびわれた器を金継ぎするように、物語をでっち上げて繋いでるだけかもしれない。思いだしているのではなく、そのつど思い付いているだけかもしれない。ナラティブな語りではない。いつもの連想ゲームであることは間違いない。

 

 前前前職で、入社後、OJTという名のほぼ放置プレイの研修過程を経て、いきなり現場監督を託された。いきなり。零細の建築事務所で請け負っていた案件は、店舗の内装工事やリノベーションのような小規模の改装工事が大半を占める。おれに一任されたのそういう小さな現場だった。とはいえ、工期はスケジュール通りにまず進行しない。規模に関係なく、出入りする業者は多種多様で、クロス屋、左官屋、塗装屋、大工、ガラス屋、電気屋、建具屋、そしてプレゼンテーション資料を渡しただけで具体的なアイデアはないから現場で大工と相談してつじつま合わせをして覚えたてのCADで図面を書き起こすのに忙しいのにたまにフラっとやってきては急な変更を押しつけてくるクソなデザイナー(クライアントの友人とかいうクソポジション)などがいて、どうしても急な予定変更は出てくる。そして、零細の建築事務所に割り振られる案件なんぞ、工期が厳しいと相場が決まっている。交渉をしなければならなくなる。ポッと出の新入りの現場監督には権限も威厳もないから、職人相手に残業や予定変更の交渉をするときに切れるカードがない。ただひたすらに頭を下げ、電話をかけメールをし、ときに強気に出て、執拗に懇願し、根回しだって大事で、あの手やこの手で心情に訴えかけることで、なんとか相手に譲歩してもらうしかない。

 「お願いします」「今回だけなので」「どうしても」「もうこのようなことが起こらないよう上には言っておくので」「お願いします。助けてください」とか何度も言ってた。「……はー、しょうがねえな」とため息混じりのOKを引きだすことができれば一安心、おれの粘り勝ち。

 このとき、相手と信頼関係を築けていたら話はスムーズに進む。いや、単に仲がいいってだけでも十分である。職人には一人親方もしくは少人数の会社も多く、そこでは個人の裁量が融通を効かしているので、残業するかしないかはその人の裁量次第ということもあり、人情でなんとかしてもらえことが多かった。だから、おれはなけなしのコミュニケーション能力をフルに発揮し、ひたすら職人と仲良くなることを心がけた。手が空いているときは、荷運びを手伝ったり、ときには業務すら手伝うこともあった。タバコは吸わないが、休憩時間は喫煙所に顔を出していた。意識せずとも職人の話を聞くのがおもしろかったから、なんかずっと人の話をけらけら笑いながら聞いていた気がする。

 で、工期に余裕があって、あと塗装が終わってしまえば今日の工程はすべて終了という日があり、今日現場近くでa flood of circleのライブやっていることを思いだす。それで、同年代で何度も顔を合わせていたので仲がよかった塗装工に、「今日この後にライブ行きたいから頑張って前倒してくれ。頼む~」「なんや。まあ普通に終わりそうやけど、手が空いてるなら手伝えよ〜」「うぃー」で、養生テープをペター、PBにシーラー塗り塗り、塗料を塗り塗り、間にハイエースから塗料缶をせっせと荷運びし、その甲斐あってかライブ開始前までに予定された工程が終わる。鍵を閉めて、ボディシートで体を拭き、鍵をいつもの場所に隠して、現場を出る。

 「まじでありがとう。助かる」「なんのライブ行くん?」「 a flood of circleっていうロックバンド」「聞いたことねーわ」 

 で、替えの服を忘れて塗料でカラフルになったワークマンで買った作業着のままで仕方なくライブ会場に向かう。まず、物販でバンドTに着替える。この日のライブは、“Tour Dancing Zombiez "ROCK'N'ROLL HELL!!! AFOCの地獄突きワンマン・ツアー" というもので、ゾンビを模したビンテージ加工の穴だらけTシャツは、塗料まみれのズボンにちょうどいい感じ。ゾンビ・メイク・コーナーの催しがあったようで、ゾンビが発生しており、俺の顔も赤い塗料が付着していたので、ゾンビメイクをしていた集団に混ざれば調和してこれまたいい感じだった。

 ライブで印象的だったのは、『FUCK FOEVER』で観客が中指を立てる光景。会場にニョキっと生える中指。ちょうどその数日前、作業現場で隣の地主が「うるさい」と苦情を言いにきていて、それに対応した職人が地主が向きを変えて帰っているときに中指を立てるのを目にし、「あー、対応させてすいません! 中指はやばいっすよ。しまいましょう、しまいしょう。」となだめていたのだ。毎日、散歩代わりにクレームを付けにやってくる。相手の気持ちはよく分かる。工事開始前に、「ご協力お願いします」の紙を入れ、迷惑をおかけしますと挨拶周りをしているが、相手からすればそれを含めてうるさいだけだろう。

 で、ライブ会場では、「FUCK FOREVER 中指を立てる」のサビで観客が中指を立てていた。おれはもうへとへとだったので壁に寄りかかって後ろで眺めていた。中指が突き出される景色はなんともいえなかった。なんかダサいでも楽しそうマジで頭下げつづけるのクソくだらねえよな、とかそんなこと思っていたはず。「グッド・モーニン/新しい朝がやってきもて/最悪の昨日に水に流せない」「どんな気分だ? 何の役にも立たぬクズを美しいと信じて積み重ねる生活は」はクソだったし。いきなり現場に放り込まれ、息も絶え絶えになりながら電話しつづけて頭を下げつづけることになった、その職場に不満しかなかった。でも、工期スケジュールの調整とか電話とかが苦手だったから俺には向いてなかっただけ。わりとホワイト。そのまま職人はあんまり残業してくれないし。それと頭を下げるのは得意だった。ショッピングモールとかでは顔合わせがあり、そこでの名刺交換タイムとか自己紹介タイムはほんと苦手だった。


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 でも、一番心に残ったのは『The Beautiful Monkeys』だった。休憩時間はだいたいみな喫煙所に集まり、そこではセックスの話題が一般的だった。というか、過酷な肉体労働に従事しているせいか、職人は筋肉が引き締まっていて同性からみても造形美があり、ゴールデンカムイの登場キャラクターみたいなゴツい人達ばかりで、まあモテるのは納得だった。「おれは初めて聞く大人のセックスの生々しさに怖くて泣いた」とまではいかないが、そんなエロ漫画みたいなエピソードがあるんだとかはよく思っていた。「猿みたいにやりまくってたわ」と口にした人もいた。今考えると、あれって性体験を披露し合うこと猿のマウント合戦的要素もあったのかもしれない。そういう環境下にいたので『The Beautiful Monkeys』がしっくりきた。ある日、「俺、あのクライアント相手が苦手なんですけど、どうすればいいですかね。なんか強く言えないんですよ。」とアドバイスを求めたら、「うーん、お前はセックスが足りないな!」とか真剣な顔で言われた。マジなのかネタなのか分からずに、どう返していいか迷っていたら、「まあ冗談だけどさ」とその人なりに俺を励ますジョークだったようだ。「適当でいいのよ、適当で」。そうしたかった。それが出来ずに、結局、その職場は長続きしなかった。おれの人生にはめずらしく人間関係こそはよかったが、まあそれ以外はてんでダメだったし。というか、俺がよっぽど新人顔していたのか知らないが、みんな優しかった。致命的なミスをよくやらかしていたのに、怒鳴られたことなんて数回しかなかったし。


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 別の日、「野球場で知り合った女の子たちと今度合コンやるんだけど、お前も来るか?」このとき返した「行けたら行くかも」は、関西では「行かない」を穏当な断り方をするときの言い方になる。

 という思い出語り。この職場で現場監督をやったことで、おれは意外とメンタルが図太いことが分かったのと、あと注意欠如のミスがあまりに多いことがつくづく身に染みて、離職後、「おれはこの先生きのこることはできるのだろうか」と暗澹たる思いでしばらく引きこもり、発達障害についての本を読みはじめたのだった。行政に頼ったり、通院したりと、紆余曲折あり、いま猿でも仕込めばできそうな職に付くことができていて、なんとか生きてる。適当でいいのよ、適当で。という言葉は胸に刻んでいる。わりとそれが、ようやく少しずつできるようになってきている。