単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

こんにちはベイビー

  なぜだか分からないがどのような自分だとしても開き直れてしまいそう。そのようでしかなかったと思ってしまう。

 

 せめて人の役に立たないといけないという強迫観念があるので為になる情報を書くと、「うたわれるもの」シリーズはスマホのアプリで無料でシナリオだけを読むことができるようです。最近になって知りました。俺はまだ手を付けていません。

 あと、同じく無料で読める『ニセモノの錬金術師』はラフ画(あとハンターハンターみたいに文章多めの漫画)に抵抗ないならめちゃくちゃ面白いのでおすすめできます。少しくらい抵抗あっても面白いのでおすすめできます。

 

 俺は適当な人間でしかなく、特に俺に関しては適当なことしか書いていませんが、作品に対しては適当なことは書いていません。俺にとって丸戸史明が手がけた『パルフェリメイク』は凡庸で『WHITE ALBUM2』は傑作だと感じました。

  

 俺は酔っ払ってやらかしました系エピソードを聞くのも目にするのも心底嫌いなタイプで、はっきりいって軽蔑の対象でしかない。

 俺は『責任という虚構』という本を読み込んで自己責任論に対抗できるようになった。そのうえで酒でやらかしまたエピソードを目にすると「酒は免責にはならない」と感じてしまう。そのせいで他者に迷惑をかけたとなれば俺はついには正義に目覚めて心の中で石を投げつけさえする。

 

 だから、酒とうまく付き合いたいとおもっていた。できているとおもっていた。

 なのに酒を飲みながら、ゲームをしたり、ブログを書いたりしていたら、朝七時になろうとしている。

 そろそろ一時くらいかな。さすがにもう寝ないとな。と思って時計を見てみたら朝七時になっていてビックリした。

 まったく実感がないが、時計が間違えたことはないからきっとそうなのだろう。

 

 

 酒はよくない。特に日曜日の深酒はよくない。完全に理解した。

 明日を完全に落としたのでこれから今できることは八時くらいに病欠の電話の一本を入れるまでの意識を保つことしかない。

 それすら難しそうである。とはいえ、それくらいはやり遂げたい。

 

 

 朝七時が信じがたく、窓に目を向けたらカーテン越しに朝日が差しこんでいた。まだ夜の一時、もしくは二時くらいだと思っていたから度肝を抜かれた。

 日曜日の夜という、週のなかでもっともはやく寝たほうがいい時を酔っ払っていたらいつの間にか通過してしまった。

 

 今まさしく、Syrup16gの『イマジン』の歌詞の「窓から差し込むのは朝日または夕暮れ、それすらどうでもいい」状態であり、「こんなんでいいんだろうか、そんな訳ないだろう俺、何でここで涙出る」状態でもある。

 俺みたいな、ただの考えなしに酒で酔っ払ったやつに「分かる」と書かれるのはかわいそうな気もするが、それはどうしようもない。

 分かってしまうのは止められない。

 書くことは止めることができるが、書いたからには公開したいのでそうしてしまう。俺が積読をまったくせずに、買った以上は絶対に読みきることと同じ理由でそうしてしまう。

 もはや俺は俺について書きたいならばSyrup16gの歌詞を引用していれば事足りる気がする。

 俺のありきたりな悲しみや苦しみはすでに歌われてしまっている。

 かりに歌われていないような固有なものがあったところで、それは取る足らないからでしかないような気がする。 

 つまるところ、俺はSyrup16gのライブの先行予約に当選し、勤労感謝の日にリリースされるニューアルバムが楽しみで、ライブもまた楽しみであるということ。


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 俺がありとあらゆる記事でYoutubeリンクを張っているのは、「何かの手違いで俺のブログにたどり着いてしまった人がとりあえず動画の再生ボタンをクリックしたらすばらしい曲が流れて得をした」と思ってほしいから。

 キッカケはどうでもよくて、良いものは良いという信念がある。俺がそうなので。

 

 それにしても、のんきに酒を飲みつづけていたら月曜日の朝七時になっていたらどうすればいいのだろう。

 「一体君は今までどうやって生きてこれたの」と問われたら、なんと返せばいいのかほんと分からない。

 なんで俺、生きているんだろう。生きてこれたんだろう。

 あらためて考えたら、俺がこうして生きているのが、今朝七時であることより驚くことのような気がする。

 

 もう朝七時なのが訳がわからなすぎて頭が痛くなってきた。 

 これに関してはアルコールがおかしいだろう。それよりもなによりアルコールを摂取してもいいと判断した俺がおかしい。

 

 

 俺は俺はってお前の話なんかどうでもいいよって思われそうだけど、ブログだとむしろ俺が俺の話をしない方がおかしいって言えるからいいよね。

 

 俺は人の役に立って存在価値を示したいのに。その一方で、生産性とか別にどうでもいいきている。

 つまるところ両価性であり、もう訳が分からなくなってきたし、とりあえず両価性って書いておけばいい気がしてきた。

 「なるほど、両価性について書いているのだな」というわけ。

 デンジの「胸を揉みたい」は性欲だけではなく所属欲求や家族の温もりだとか、「4443で外れる炭酸水」は自販機のアレだけでなく幸せとか、そういう読み方でみんなハッピーになれるといいのに。

 

 痛感している。酔っ払った人間ってつまんねえよ。

 あくまで俺の観測範囲だが、俺を含めて酔っ払って面白くなった人間っていないのに、当の本人は普段より陽気になって羽目を外して面白くなったと思い込んでることが多い。

 そのときだいたいが声が大きくなっただけでしかない。声が大きいことが無邪気に良いと思っているような人間になりたくない。

 

 っていう俺の軽蔑の眼差しが俺に向けられていて居心地が悪いので寝るしかない。

 「何が悲しくてこんな自分になったんだ」とか悲しいことを言わないでほしいしもっと歌ってくれ。


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