単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

酩酊日記 part4

西村賢太の『寿司乞食』という掌編では酔っ払いの悪いところがつぶさに書かれている。

寿司屋に雇用され、その日の歓迎会で主人公が酔っ払って二次会を要求し、その二次会で泥酔しゲロまみれで帰宅して寝過ぎて次の日に仕事をすっぽかしてそのまま辞めるという『寿司乞食』はいってみればそれだけの筋書きで酔っ払いの悪いところが書かれているだけでよかった。

 

METORというラッパーがかつて書いた「ステージに立つと緊張するし人付き合いもあって酒浸りになってついには仕事中でも酒を隠し飲むようになって当然ながらだめだめになって仕事もクビになってラッパーとしては金稼げないし趣味で生きていこうとすると死ぬぞ」という内容を書いたブログの記事は削除されてもうweb archiveでしか読めない。


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「だってさぁ やっぱさぁ うまくやりてぇじゃんかさぁ」。そうだよなぁ。

 

もっぱら睡眠導入剤をブラックニッカクリアで飲み下してコミックDAYSやピッコマでマンガを読みながら寝る日々でこれで寿命には差し支えがなくてただ健康寿命だけが目減りしていたらどうしようもねえ。

 

たまに名前を見たことがある人は死んでなくてよかった。遺書は長文だったので読んでないが十回くらいはああいうことやっていいとおもう。

『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』

「酔っている」も「泥酔」も「酒気帯び」も語感がよくない。酩酊はいいので酩酊にしよう。アルコールや向精神薬血中濃度からすれば酩酊のほうが相応しい。

酩酊していないと公開されない文章があり、この記事にある文章がそれだったりする。素面になって削除したりする。

12/5か12/6くらい

 明日は、限度いっぱいまで延期したガス設備調査(法令に基づいて四年に一度やるやつ)と月に一度の通院日だ。

 ガス設備業者の点検がスムーズに行えるように先ほどまで曲を聞きながら部屋の片づけをしていた。

 十年前ぐらいに書いていた音楽ノート(ひたすらにアーティスト名が羅列してある)が出土した。実家に置いてきてしまってアーティスト名をど忘れして聞くことが叶わなかった曲が久しぶりに聞けた。


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 家賃三万円ぐらい(共益費込みで!)のワンルームマンションは細長く玄関からベランダまで見通すことができる。内側でありつつ外側でもある。人間の管みたいな構造をしている。その管の通りを良くしていた。

 大阪ガスから不在着信があってガス設備調査の予定日の確認かなと折り返したところ、ただのセールスだった。

 小さい頃、家によく訪問販売がやってきた。そのつど母は騙されていた。おそらくその界隈の名簿に載っていたのだろう。一方で、その母は川沿いに仮設されたプレハブ小屋でよくやってた「ハイハイ商法」で騙される年寄りを小馬鹿にしていた。

 浄水器の訪問販売は楽しかった。大層な機材を運んで変色反応や沈でん物などの理科の実験をやっていた。詐欺だが。これ、各自治体のホームページに注意喚起を読むことができるくらい定番らしいので、小学生のカリキュラムに組む込んだほうがいいのでは。

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 それにしてもガキを習い事漬けにし、そのガキは塾の宿題の因数を分解することができずに癇癪を起しているのに、それを横目に訪問販売で高額な教育商材を買っていたのはなんとも言い難い。

 爺ちゃんが闘病生活を送っていたとき、誰に吹きこまれた知らないがサルノコシカケが万能薬だと思い込み、月一くらいで一家総出で野山でサルノコシカケを探していたことがあった。子どもからするとハイキングでしかなかったし、いまではそのエピソードを含めて楽しかった思い出だったりする。

 で話をいまに戻して、俺が今回受けたセールスが研修中というか、疲れ切っているというか、そもそもコミュニケーションを苦手としていそうというか、はっきりと書くと変だった。変なかんじだった。

 俺はビックリしてまともに対応してしまった。いままでは無言切りだったのに。今回は変なかんじに対応の迫られたような気になり、「あー、私は口頭でサービスを検討したり契約はしないようにしているので、もし案内があるならば郵送やメールなどでお願いします。すいません」と真面目にやり取りをしてしまった。

 そういったテクニックだったのかもしれない。新人がノルマに追われてあくせくしていたのかもしれない。それはわからない。

 いずれにせよなんかつらかった。零細建築会社で働いていたときに事務所に俺しかいないとき証券会社の新人らしき人が直筆の果たし状を手渡してパニくっていたのか明らかに権限がないだろう新人の俺にペラペラセールストークをしていたときよりつらくなった。

 

 爺ちゃんのために一家総出でサルノコシカケを探していたエピソードにはオチがあり、父は医者でサルノコシカケが万能薬ではないと分かったうえで爺ちゃんと俺たち家族には何も言わなかった。ただ父は山登りが好きでついででやっていたこと。それを高校生くらいになって聞いた。「まあ普通の医療(標準医療)を受けていたし」と軽く笑っていた。父のことを尊敬するようになったのはあの時からかもしれない。

 

鬱ロック

 「鬱ロック」どうこうって言葉は、オピオイドによる中毒死が社会問題化しているアメリカのHIPHOPシーンと比べると、なんというかチープな響きがある。

 むしろ「鬱ロック」が不足している。というか、はっきり断言できるようなロックは日本の音楽シーンにない。少なくとも俺は探しつづけているが見つけられていない。昭和のフォークソングを探したほうがよっぽど「それ」っぽいのがありそうだ。

 世相を反映していない。日本では二万人も自殺者がいて、依然として十代から六十代までの死因のトップスリーに「自殺」がランクインし、死亡者数でも交通事故死み圧倒的な差を付けていて、その自殺リスクが非常に高い精神疾患が「うつ病」なのに。

 そのような日本の邦楽ロックシーンで「鬱ロック」と断言できるバンドが少ない。音楽シーンに時代が反映されていないのではと思う。

 せいぜい「鬱ロック」としてパニック障害の第一選択薬である「ソラナックス」を文字った曲をリリースしているSyrup16gの名前がたまに挙げられるくらい。

 むしろ俺たちは「鬱ロック」がない現状に不満を抱いたほうがいいのでは。言葉遊びではなく、Billie Eilishが『Xanny』というストレートな曲がないことを杞憂すべきなのでは。

 レクサプロの時代なのに。

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 俺は「鬱ロック」という言葉は好きではない。

 精神障害手帳三級を所持しており、その診断書には「うつ病/発達障害」と病名が記載されていて、もう五年くらいは抗うつ剤を最大限容量まで服用している俺という立場で書く。

 「鬱ロック」議論については、うつ病(もしくは抑うつ症状)が非日常の健常者が勝手にカテゴライズして勝手に議論していると思ってしまう。たまにそう思う。

 別に当事者/部外者、障害者/健常者といった分断線を引きたいわけではない。軽度の抑うつ症状には誰もがなっていそうだし、これは社会福祉の対象/非対称を区分するための程度問題でしかない。

 が、それでも、知識としてさえうつをよく知りもしないのに「うつ」という言葉を使って一体何を語っているのだろうとは思う。精神疾患で診断書を書いてもらうとき、「自立支援医療制度」か「精神障害者手帳」(同時に申請すれば診断書は一つで済む!)、もしくは「障害者年金」のためが多いということを知らない人も多そうだし。

 「鬱ロック」というカテゴライズは「うつ病」や「抑うつ症状」と関係がなさそう。「鬱ロック」は「鬱ロック」と表現されるジャンルでしかない。「うつ」ではないのだ。だったら「鬱ロック」は一体何だろうといえば、鬱ロックとジャンル分けされたものが鬱ロックと呼ばれているだけ、つまりは循環論法でしかなさそう。 

 そこで問題視されているのは、不適切なジャンル分けとそうしてしまう表面的な理解についてだろう。

 

 そもそも「うつ」という精神疾患が複雑極まっている。そのバイオメーカー(明確な指標)はいまだに見つかっていない。一般的なモノアミン仮説から、いまでは腸内細菌説や炎症仮説まである。医療会社が抗うつ剤のためにキャンペーンを張ってうつ病が知られるようになった(「うつ病が」生まれたまではいかない)という歴史的事実もある。最近ではケタミンLSD・DXMなどの幻覚剤を服用することで改善したという論文も発表されている。

 

 先ほど、twitterSyrup16gの新譜の感想を読んでいたらすばらしいレビューに出会った。

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 書き手はファラさんだった。俺が愛読していたブログで、ファーストアルバムのリリース(子ども)に伴って閉鎖した音楽レビューブログの「SIKEI-MUSIC」の人だった。いまでは関西のカレーレポをする人のイメージ人が強いが。

 

 Syrup16gは「鬱ロック」という言葉で語られたり、否定されていたりしている。ほとんどのケースで健常者が勝手にカテゴライズして勝手に議論している。

 ただ、なんというか、「鬱ロック(笑)」みたいな扱いをされていると、「抗うつ剤精神安定剤睡眠導入剤を服用しつづけている精神障害手帳三級」という属性がそのように扱われているようで、少しだけ不愉快になる。

 抗うつ剤を摂取していようが、深刻な抑うつ症状になっていようが、あくまで俺のケースだが、「曲の感じ」は変わらない。 

 

 いずれにせよ「鬱ロック」は「うつ」とは関係がないのだからこれからもレッテルを張り剥がされて手に取るキッカケになったり敬遠されるキッカケになったりするのだろう。

 余談。音楽とうつに関しては『エクリヲ vol.13 特集Ⅰ:鬱の時代へ――失調と回復の哲学』がおすすめ。音楽ライターでもっとも信用を置いている柴那典も寄稿している。メンタルヘルスと音楽シーンについては音楽ライターの柴那典を参考にしていて、いつの間にか米津玄師の『KICK BACK』をインタビューするくらい有名な音楽ライターになっていた。Syrup16gの『HURT』リリースしたときの記事で俺の文章を引用していて好きになった。3.11とTHE NOVEMBERSについて書いた記事で知った。dnimmind.hatenablog.com

 

後藤ひとりはSyrup16gの夢を見るか?

 

 感想を読みたいならばtwitterがいい。twitterでいい。で、Syrup16gの『Les Misé blue』の感想をtwitterで探して読んでいたらこのようなツイートがあった。

 Syrup16gのファンとしては聴いていてほしいが、キャラクターの造形的に聴いていないことにはとくに違和感はない。後藤ひとりがSyrup16gを聞いていないのはなんらおかしくない。そもそも後藤ひとりは「バンドを組んだら私みたいな人間でももしかして輝ける?」というように、手段としてギターを弾きはじめてロックを聞いて転がるようになった経緯があるのでなにもおかしくないのだ。「ライブしてちやほやされ」たがっているので流行っている曲にリソースを割くのは理に適っている。むしろこの設定上では、My Hair is BadではなくSyrup16gを聞いていたほうが違和感がある。

 とはいえ、後藤ひとりのような人がSyrup16gを聞いていてもおかしくない。ぼっちちゃんは診断書を書かれることはなさそうだが、Syrup16gの『診断書』を好きになってもおかしくはない。そもそもがどのような人間がSyrup16gを聞いてもおかしくはないし、聞いていなくてもおかしくはない。聞いてみてほしい。

 ぼっちちゃんが缶バッジを付けているクリープハイプ(あと椿屋四重奏の)の初期は『Syrup16gっぽい』と雑誌でレビューされていたし。ぼっちちゃんは『センチメンタル』や『Anything for today』、『Alone In Lonely』あたりは気に入りそう。

 あと五年振りにリリースされた『Les Misé blue』も気に入りそう。躁的でもなく鬱的でもなく中間でグッドメロディーをやっているので気に入りそう。

 アニメを最後まで読んだけどぼっちちゃんは他者とのコミュニケーションには神経質であるのに普段の振る舞いの異常さには鈍感でそのアンバランスさにガチ感があった。「もとからギャグテイストが強かったきらら作品の四コマのアニメ化した作品」といえばそうなのでしいていえばだが。

#ドクターに言われた衝撃的な言葉 について

 あれってさ、病院にいって検査・診断結果で「異常なし」となって、「だったらなぜそうなっているか」という患者の不安を解決するためにドクターがてきとー言ってるだけだよね。てきとーに解釈してるだけ。だからなんかおもしろくなってる。「異常なし」までは事実でドクターが衝撃的なことのは創作ってケース多そう。  

 解釈っていえばさ、ロールシャッハ・テストやバウムテストとかあるじゃん。ああいう心理投影テストって解釈に大きいよね。信憑性がケチだいぶついているっぽいし、私は「訓練を受けた心理技師が活用した場合」ですらテクストの解釈やってるとしか思えないけど。ロビー活動ご苦労様って感じ。アメリカでは受刑者の仮釈放を審査するときにロールシャッハテストが頻繁に使われるのって怖くね? わたしが前にあれやらされたことあるけど全部虫にしかおもえなかったよ。わたしは昆虫好きで詳しいからああいう虫にいるって知ってるんだよ。

 それにさ、裁判で精神鑑定をドクターがやるのもなんか不思議じゃない? ドクターが犯罪者の責任能力を判断するって、ドクターが社会的・イデオロギー的機能を担っているからだよね。本当に責任(行為の因果関係)の検討をしたいわけではないよね。だってマジでそうしたければ精神科医だけで無理でしょ。免責される類の精神疾患にわかりやすいバイオメーカーは見つかってないし。

 でも、そもそも頭が良い人たちってまだ「リベットの実験」で自由意志についての解釈バトルしてるっぽいし、だったら最終審級が精神科医でもあんま変わらなさそう。

 みたいなこと小坂井敏晶の『責任の虚構』で書いてあった。小坂井敏晶の本はだいたいどれも同じことを書いてるのすごい。

 私が通ってるメンクリのドクターはなにも面白いこと言ってくれないけど宮崎駿をとびっきり優しくしたみたいな顔で柔和な笑みで話を聞いてくるからいつもちょっと元気になる。ってJKのマックが言ってた。死語。

ネットスラングで慣れ合っていないが、慣れ合いたいかもしれない。

 ネットスラングを用いた反射的コミュニケーションは頭がいい人が口を揃えて批判しているが俺はそれができない。むしろやりたい。

 実際、いま急速に拡大しているのは、他者の言葉に対する何の留保もない相乗りと反復に過ぎないのではないか。秒単位のタイムスタンプが押された言説がリアルタイムで無数に流れる状況にあっては、言葉を発する方も受ける方も、自他の言葉に耳を澄ますどころか、時間に追い立てられ、タイミングよく言葉を流す即応性に支配されているのではないか。「リツイート」や「シェア」等の反射的な引用・拡散や、「いいね」等の間髪入れない肯定的反応の累積がもたらすのは、それによって単に重量を増した言葉が他の言葉を押しのけるという力学であり、かつてない速度と規模をもつデマや煽動の生産システムではないだろか。

『言葉の魂の哲学』