帰り道にsyrup16gの『In My Hurts Again』を聞いていて、あぁ、この曲の痛みや儚さ、また不気味さは、「よすがのなさ」という言葉が似あうなと気づいた。
歌詞を読む。
大気圏の中で暮らしている
何処に居ても宇宙服を着ている
会話らしきものを交わしている
対峙を避ける無関心がルール
大気圏という、地上でも宇宙でもないその中間に位置する空間で、自己と外界を分つ宇宙服を着込んでいる。とはいえ、そこで孤立し漂流しているわけでもない。交流はある。会話らしきものはやり取りできている。孤立こそしていないが対峙はなるべく避けられている。
大至急 迷子を救って 偶ぐる
紋白蝶に誘われてパラレル
迷子になり、Googleに頼ろうとするも、視界に入ってきた紋白蝶に誘われるがままにさらに状況が悪化してしまう。目的地がある以上、迷子になってしまうのは不運に違いないが、紋白蝶に誘われてパラレルな世界と出会えたことは不運ではなさそう。
また、バタフライエフェクトが引き起こすパワレルワールドという意味もあるのだろうか。それはわからないし読みすぎかもしれない。
来世にはお煎餅屋さんになりたくて
お砂糖とお醤油が奏でる 至高のマリアージュ
一生は平らで ひっくり返して なお
一瞬の怠惰で 全てを失うかも
そして、お煎餅。「お砂糖とお醤油が奏でる至高のマリアージュ」と微笑ましくさせたあと、「一瞬の怠惰で全てを失うかも」とひっくり返してくる。来世への期待ですら希望的観測のみで語られていない。ミスで焦がしてしまったお砂糖やお醤油だからこそ奏でることができるマリアージュもあるかもしれないのに、そこは触れられない。それはそれでOKではなく、穏やかな期待のなかに不安がよぎる。
言うこと聞かない子 どこ
鬼さん来ても知らないよ
言うこと聞かない子 どこ
無いものねだりね
ルールに適していない行為や態度が鬼がやってくる原因になってしまうかもしれないという素朴な因果論でもありそうだし、夜中に口笛を吹くと蛇がやってくる的な子どもに言い聞かせる教訓でもありそうだし、いまいちよく分からない。
ただ言い聞かせるために持ち出される言葉が、他者に言い聞かせて伝えようとするために使用されてはいない。そのせいで「鬼さん来ても知らないよ」「無いものねだりね」が会話らしきものになっている。らしきものに留まっている。
つまりは、宇宙人ではない。地球に地に足が付いているわけでもない。孤立していないが会話はあくまで会話らしき曖昧なもの。迷子になり、紋白蝶に誘われて新たな世界を見つるが、さらに迷子になる。来世はお煎餅屋さんになりたいという願望の根っこにはそこで大きな過ちをしてしまうかもしれないという不安を宿している。
そんなかんじで、おれは『In My Hurts Again』によすがのなさを感じ取ったのだ。
曲調もそう。全編にわたってシューゲイザー的処理を効かせたギターサウンドは美メロに違いないが、イントロは明暗のどちらに転ぶかはわからないトーンで、サビはラララーララと高らかに歌っているがリズムは重々しい。全体として喜怒哀楽のいずれかに容易に分類されるトーンではないから歌詞によって方向付けてしまいたいが、そうはさせてくれない。
『In My Hurts Again』はお煎餅の曲という強烈なフックがある。が、聞けば聞くほど曲の輪郭が自分のなかでぼんやりしてきた。それはライブで演奏されたあとでもそう。いい曲、確かにおれはいい曲として聞きつづけていて、今日はひしひしと伝わってくるよすがのなさに打ちのめされていた。
その感じが、なんというかすばらしくて、ますます好きになった。