単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gが解散してから四年が経って変わったもの


 感傷たっぷりに嘆いてみる。変わってしまった。

 
 昨日、久しぶりにSyrup16gを聞いていました。そして昨日3月1日がSyrup16gが解散した日であることを忘れていました。いつの間にか私の中で彼らの存在が薄くなっていたようで、その証拠に最近は全曲レビューはめっきり書かなくなりました。


 変わってしまった。そもそも音楽の好みが変わることはざらにあることだし、新しいアーティストにハマっていたら少しくらいは忘れてしまうことはある。でもSyrup16gだけは別だと思っていました。

 
 彼らと出会ってからかれこれ7年ほどでしょうか。当たり前のようにいつでも聞いていて、それこそ習慣として聞いていました。
 
 通学中、ちょっとした空き時間、寝る前、寝れずに迎えた朝方、生活のいたるところでSyrup16gが流れていました。四年前、新しい環境にずっと馴染めなくて苦しんでいた時に支えられて、去年の秋、症状が悪化して非常にきつかった時期の何よりの味方でした。いくら感謝しても足りないほどに救われています。

 「音楽に救われた」「音楽で人生が変わる」 こういったセンセーショナルな言葉は私は苦手なのですが、当の自分がなんども救われた体験をしてしまったので、その度に「永遠に聞きつづけるんだろうな」とSyrup16gへの思いを強くしていました。


 
が、まさか3月1日を忘れるとは。しばらく聞かなくなるとは。
すごく悲しかった。どうしてか分かりませんがショックでした。
 

変わらない物一つもないよ 変わって行くよ仕方がないよ
 どこに行っても逃げられないよ どこに行っても君は君だよ


 
 別に悪いことではないんだし、これは仕方ないことだとも思う。でもやっぱりSyrup16gは心から好きと言える数少ないバンドで、人生には絶対に欠かせないものだと確信していただけに、自分にひっそりと訪れていた変化に戸惑いました。そして悲しいです。些細なようで、大きな変化です。


 今でもSyrup16gは好きです。以前の「好き」とは変わってしまったけど。また聴きなおして「delayed」の素晴らしさを噛みしている次第です。もはや「永遠に聞きつづける」と自信を持っていうことはできませんが、それでもSyrup16gから完全に離れることはあり得ないでしょう。それは今でも疑えない。

 それにまたどうしようもなくなったら真っ先に「HELL-SEE」に逃げ込む筈です。このアルバムが私にとって一番強固な防波堤ですから。と思いつつも、少しづつSyrup16gから遠ざかっていた事実があって、どうしようもない気持ちになります。
 

 どこの面下げて「永遠」なんて語ったのか恥ずかしくなります。そこまで大したことがないのに割り切れない出来事ですね。うわごとのように「変わりたい」と言っているけど、こんな悲しい変化は望んでいなかったです。なんでだろう。いくら考えても分からない。


 Syrup16g解散から4年経って、最近初めて聞いてハマったという人や、忘れられないことをあらためて確かめた人や、私のように少しだけ遠くなってしまったことを感じた人がいて。聴き方、感じ方はそれぞれ違うけれど、Syrup16が残した音楽は今でも多くの人に影響を与えていて。そんな一人としてこれからもsyrup16gの歌を大事にしていきたいです。