単行のカナリア

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『春あかね高校定時制夜間部』にハマっている/マンガに内用液タイプの向精神薬が出てくるのはじめてみた

内用液タイプの向精神薬がマンガで出てくるのはじめて目にした。錠剤の睡眠導入剤抗不安薬はマンガにけっこう出てくる。が、内用液の非定型抗精神病薬はめずらしい。

春あかね高校定時制夜間部の第七話で。おれの中でこの作品が稀代の名作となった第七話。

春あかね高校定時制夜間部

web-ace.jp

6mgの内用液は非定型抗精神病薬エビリファイっぽい。内用液型は一般的ではなさそう。おれも頓服としてリスペリドン内用液を処方されるまで知らなかった。

これ、このマンガがディティールに凝っていてすばらしいという話に繋がる。

 

『春あかね高校定時制夜間部』は定時制夜間部高校を舞台にした群像劇で、個性的なキャラクターたちの人物描写は細部に凝っていて、そんな彼ら彼女らの掛け合いはユーモアに溢れている。詩的だったり内省的だったりするいずれも美しいエピソードが差しこまれてるのもいい。基本のトーンは青春物語っぽい。コメディタッチで描かれるやらかしエピソードは笑い話(に昇華できそうなやらかしで)として素直に楽しく読める。

ただ一話の煽り文に「みんなの個性が輝く場所!」とあり、この「個性的」は一般社会への不適応さと重なる部分が多い。全日制高校的青春物語の枠に押し込めるような柔らかい個性ではけっしてない。その個性的なキャラクターたちの会話ややり取りが楽しく、またほろ苦さもある。

つまり、個性の取り扱いのさじ加減が絶妙なのだ。あと、十年後に振りかえってクスっと温かい気持ちになれそうなふんわりと優しさが漂うエピソードのちょうどいい感がすごい。

おれは「あ!内用液タイプの非定型抗精神病薬だ!」となるタイプなので第七話の鉄黒よしえの台詞「誰かのスタート地点が私のゴールなのかも…」「ちゃんと福祉的支援を受けていたとしても社会の中央値に到達できない」で打ちのめされていた。

でも彼女は「高校ではちゃんと友達できて良かったな」なのでよかった。そもそも第一話の時点で、十代から三十代後半まで精神病棟の暮らしを経た彼女が「今では曖昧ではないとびきりの笑顔を見せることもある」なのでどう転んでも青春物語は約束されている。読後感がいい。

heisoku先生の前作『ご飯は私を裏切らない』もよかったが(非正規雇用現場と昆虫がよく出てくるし)、今作の『春あかね高校定時制夜間部』は手放しでおすすめできるし、幸せになってほしいキャラクターしかいなくてすばらしい。

 

普通に生きていけるのならばそちらの方がどれだけ素晴らしいことだろう?との問いは依然としてあるし、だが、その問いと向き合っている(第七話とか)からこそ曖昧ではないとびきりの笑顔が素晴らしく映る。

僕の友人たちの名誉のために言うが、彼らのすべてがただの可哀想な被害者というわけはなく、そのなかには自分の意志で勇気ある決断をした者だっている。

そこには人間の誇りがあり、僕はそれをとても美しいものだと思う。

その誇りや美しさが、結局のところ、不幸に押し潰された諦めから生まれたのだとしても。

けれど僕は、そうした美しさが大嫌いだ。そんな勇気は、本当ならば発揮されない方が良い。たとえ美しくなくとも、彼らが普通に生きていけるのならば、そちらの方がどれだけ素晴らしいことだろう?

『BLACK SHEEP TOWN』