単行のカナリア

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プラシーボ効果はすごい 『精神科医はくすりを出すときこう考える』を読んだ

 

 エッセイ本ではなく、科学と医学とくすりについての本である。さらに言えば、俗にいう「エビデンス」に依拠した本でもある。

 『精神科医はくすりを出すときこう考える』の内容を簡単にいってしまえば、精神科医がくすりを出すときの「証拠や根拠」とは何なのかというもの。また「科学的に証明されている」というときの科学的にとは医療の現場ではどういうことになるのか、臨床試験の結果をどう読み解くかといったことも説明してくれる。本中で引用される参考文献は、メタアナリシスというエビデンスレベルが最も高いとされる論文が主になっている。タイトルや表紙とは異なり、専門用語が頻出するお堅い内容になっていて読み応えがある。

 俺は精神科医の書くものが好きである。薬物療法向精神薬の話はかなり好きである。向精神薬についての本は数多くあるが、その大半が「薬を飲むな、その薬は毒です」という精神世界に分類される本だが、俺はそちらはあまり好きではない。『精神科医はくすりを出すときこう考える』はもちろんそのような本ではない。エビデンスの話で、もっぱら医療と科学の話になる。俺好みの興味深い話が盛りだくさんだった。

 この本の特徴は、著者が基礎研究に従事していたこともあり、エビデンスベースの薬物療法について語っているところだろう。基本的にEBMに則ったくすりの話が出てくる。

 EBMは「証拠や根拠に基づく」医学となる。そして「そもそも証拠や根拠というものには、確実性の強弱がある」という。これはとても大事だなと俺が思ったのは

 EBMとは、「入手可能な最も信頼できる根拠を把握したうえで、個々の患者に特有の臨床状況と患者の価値観を考慮した医療を行うための一連の行動指針である」

 の「入手可能な最も信頼できる根拠」という部分だ。その信頼性の担保するのは、もっぱら統計や疫学のデータとなる。

 精神科で薬物を使うときの三つの立場があるようで、

・薬理作用を重視する

EBMを重視する

・自分の経験を重視する

 というそれぞれの態度が濃淡をともなって混合しているらしい。本屋で平積みされているうさん臭い健康本は主に「自分の経験を重視する」態度だろうし、この著者は主に「EBMを重視する」態度ということになる。

 とはいえ、著者が精神科医になりたての頃、どのようにくすりの使い方を学んだかといえば「このような使い方をするとうまくいったことがあるといった、ある意味で名人芸的な処方が評価されていた」らしい。同じように、製薬会社が名処方が載っている小冊子を配っていたり、同僚どうしでは経験での薬物治療の工夫について語り合うように、エビデンスとしてもっとも弱い方法論が跋扈していたという。

 精神科医が書く本をいつくか読んできたが、だいたいの本が「自分の経験を重視した」語りでここまでEBMに依拠している内容はめずらしい。有用性、二重盲検ランダム化比較対照試験、バイアス、NNT(必要症例数)、相対リスク減少、メタアナリシス、オープン試験といった、科学の本でおなじみのワードを中心に据えて診療について語られる。診療ガイドライン作成方法については初めて知った。

  

 で、個人的に為になった抗うつ薬プラシーボ効果について抜粋。内容は、2014年のInternational Clinical Psychoparmacologyという雑誌に発表された論文による。

・試験薬や発売済みの抗うつ薬では、60%台なかばの患者さんが何らかの副作用を訴えていることがわかる。しかしプラセボでも50.8%である。

プラセボでも20%の患者が寛解している。一方で、抗うつ薬は40%弱。

 

 この研究結果をどう捉えるか、難しいところである。確かに、抗うつ薬は効果がある。だが、プラセボでも効果がある。その効果比をNNT、相対リスク減少などの指標で表すらしい。効果の指標を導入したところで、それはくすりを出すかどうかの判断基準そのものではない。あくまで判断基準の一つでしかない。さらに考慮されるのが、「病気の重症度、特徴的な症状、患者さんの薬物への希望や期待、想定される副作用、年齢や性別」などのさまざまな要因で、それとくすりの費用対効果比を突きあわせて、包括的に諸要素を鑑みて判断をしなければならないようだ。やはり「くすりを出すか」というのは悩ましい問題になるようだ。

 また、プラセボによる改善が強く出るのは、「痛み、抑うつ、悪心、不眠、喫煙、高血圧、不安、喘息、肥満、パーキンソン病などの神経疾患」などの病気や症状とある。そりゃあ、ホメオパシーを信じている人には「効く」わけだ。小阪井敏晶の本によれば、フランスではホメオパシーに健康保険が適用されており、その理由が保険費の負担を避けるためとある。ホメオパシーという薬用成分の分子が一つも入っていない砂糖玉も処方すれば「効く」というエビデンスは微妙な問題を招いているのだろう。

 だから、必要最小限度のくすりが難しい。

精神科診療所のホームページをみると、よく「くすりは必要最小限度で使う方針です」などとあったりする。その「必要最小限度」があらかじめわかっていれば、みなそうするに違いないのであるが……。

 NNTという指標をもとに精神科のくすりVS一般的なくすりをやっていて、統合失調症双極性障害強迫性障害の精神科のくすりは健闘していた。これらは、俗にいう薬物療法が一般的に有効される病状でデータとしてもそうなるのかと納得した。 

 あと印象に残ったのは、

精神療法家はしばしば「治療の目標は症状をなくすることでなく、よりより生き方を探すことである」などと患者に説明するが、少なくとも健康保険制度のうえに立てられているわが国の医療では詭弁である。医療は一義的には、症状をなくしてもとに戻してなんぼの世界である。

 タイトルは『精神科医はくすりを出すときこう考える』とあるが、ここまで考えていて処方されているくすりなら信用してもよさそうだと思ったが、おそらくそうはならないのだろう。なにせ精神科のくすりは本当に嫌われている。

赤松利市の『ボダ子』という小説で、こういうシーンがある。

淡々と話を進める担当医の再びの指示で、看護師が差し出した薬袋を手にした悦子が、強制退院を告げられたとき以上の叫び声を上げた。

「こ、こ、これはパキシルやないですかっ!」

 抗うつ剤をこのようなイメージで捉えている人はきっと多いだろう。だからといって、そういった人たちはエビデンスどうこうを問題にしているわけではないから、著者のように、メタアナリクスで発表された効果や、対費用効果比や 患者の個人的事情を考慮したうえでくすりを出してると分かったところで意味はあまりなさそうだ。

 それはEBMとは別の次元の話になるのだろう。私の身近にも、龍神の恩恵を受けるとすべてうまくいくと信じている人がいるが、この本のように高いエビデンスをもったデータから矛盾のない理屈を積み重ねて結論を導くようなやり方は信じていない人がいて、なんというか精神科医というのは大変だなと思う。

「通っているメンクリのお医者さんが○○と言っていたので(〇〇には誰もが思い付きそうなライフハックやアドバイス)」系のツイートがバズっているのをよく見かける。しかしそこにエビデンスはない。でも、それで一時期的でも気持ちが楽になれるのなら、それでいい。

 言葉や思想なんてのは生きるために乗り換えていけばいいわけだし。