単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

乗り換えばかりのしちめんどうな人生だった

日がな断片的な思考がとりとめもなく頭の中を流れつづけているが、ときには人生史を振り返ることがある。それは、行政の手続き書類や福祉支援の面談室、もしくはパニック障害になって初めて訪れた心療内科の診療室でおもに行われる。

で、そのたびに「おれの人生を時系列的に語るのはややこしいな」と思う。

社会のレール的な例えをすると乗り換えが多い。引っ越しとか転職とかそういう乗り換えが多いようだ。そのせいで人生史制作の場では担当者がどこからか西暦と年齢の合わせ表を持ち出して「これは〇〇年の出来事になりますね」としちめんどくさい情報整理が始まってしまう。

物語的にまとめるならば簡単で、どちらかといえば豊富な社会的資源を与えられて生まれた人間が、母親と本人の無能さによって資源を膨大に浪費してしまってしまいには枯渇、診断書に書かれた文面通りの予後多くは期待できそうにないと思われる、といった感じ。簡単でしょう。

乗り換えが多かったのはめんどうでしかなく、今日もまためんどうなことになったので本当にただめんどうなだけなのだが、運が悪いと「乗り換えが多かったからこそ見えた景色も多かったはず」とか言われて誰にも頷かなくてもいいって歌にならって頷きはしない。

そんなかんじの、例年より暖冬傾向かつ気圧差が過酷らしい二月に聞きたい曲といえば、そう、さよならポエジーの『二月の中を / February』ですよね。


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阪神電車の車窓から目に飛び込んでくる六甲山に住宅やマンションがびっしりと密集している光景は、海岸の岩横に群生するフジツボのような気持ち悪さがあって、このことについて人に何度か話したが一度たりとも頷いてもらったことがない。