単行のカナリア

スプラトゥーン3のサーモンラン全ステージ野良カンスト勢です!

Syrup16gの曲レビューその6「リアル」


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 死にますね。人間はいつか必ず死にます。いつかという期限を設けなくても死ぬのは明白です。どうあがいたって死にます。誰かの心の中ではずっと生き続けられるとしても、いつかそれさえも人間の滅亡という形で死ぬことになります。社会的にも身体的にも死にます。決して死から逃れることはできません。
  
 で、そういうリアルがあるのにもかかわらず、私が実際どう思っているかというと、そこまで「死」に対して思うこと自体があまりないのです。それは死ぬと思ってないというか、死は当たり前なので現象なので鈍感になっているというべきでしょうか。正直、死を想像してもよく分からないです。でも死ぬ。

命によって 俺は壊れた 
いつかは終わる そんな恐怖に


 出だしの歌詞です。俺は壊れた。いきなり耳に飛び込んでくるこの言葉。唐突すぎてついていけない。しかし、五十嵐隆にとってこれは途方もないほどのリアルであって、そのため、冒頭からさらっと歌っているのでしょう。
 これには断絶を感じてしまいました。「死」に対しての感受性・想像力が私とは決定的に違っているようです。「死にたい」とはまったく別のベクトルで、ただ「死」に対して思いやった結果で壊れた、というわけで。それがどれだけの葛藤をへたものかを想像することさえもかないません。たとえこれが誇張表現だとしても、死への感受性の高さをうかがうことができます。

でも命によって 救われた
いつかは終わる それ自体が希望  


 でも、救われる。死ぬまで永遠に拭い去れない死の恐怖は、いってみればそれだけは確実なものです。現実がどれだけ辛くても、死によってすべてを回収できる。いわばゴールのようなもの。それによって、どんな苦しみや悲しみ、苦痛や懊悩や屈辱や後悔、ついには死ぬことへの苦しみさえも、死によって回収される。その確かなリアルを希望と感じたのでしょうか。
この楽曲だけは、ぼんやりとした予想という形でしか、この楽曲に込められている思いを読みとることができません。なにせ共感ができないのです。今こうしてレビューを書いていて悲しい気持ちになってきました。



 サウンドsyrup16gの中でも特徴的なサウンドになっています。輪郭を失った空間系のサウンド、無機質なドラムの打ち込み、生々しいベース。特に、サウンドを包み込むようなギターサウンドが異質な雰囲気を漂わせています。明らかにアンバランスでしょう。しかも、それを狙って作っているのは明らかで。捉えどころのないサウンドです。

 そういったサウンドをバックに歌われるのが死へのリアル。

全ての言葉しっぽ巻いて
逃げ出すほどのリアル


 この歌のテーマで「リアル」という言葉を使わざる得なかったのは、あまりにも死に対して鈍感な人が多いからなのでしょうね。自分はリアルを麻痺してしまったその一人です。皆さんがどう思っているか分かりませんが、誰もが死に対してそうリアルを感じているわけではないですから。遠いよ。って思ってしまうのは仕方ないです。俺だって出来ることならそっちにいって同じ感情を共感してみたい。でも、これまで思ってこなかった人間が、意識したからって共感できるものじゃないでしょう。

 ただ、この抽象的なサウンド、それと切実な歌によって少しは理解できるような気がします。気がします、っててきとーだな。こういうやつに限って大して思っていないんですよね。口だけいってそう思った気になるというパターンです。
 
 まあ、ぶっちゃけ全然分からないよ。死が怖い。それは分かる。死が怖いから壊れる。これが分からない。リアルじゃないです。それは俺が、フィクションの死に慣れてしまって、現実の死に干渉したことがないことが大きいのかもしれません。いや、それはどうでもいいのです。いまは、リアルという楽曲についてのレビューをしないといけない。あー、今回もまとまらないですね。



 リアルはいい曲です。生々しく無機質であるサウンドは、聞いていて形容しがたい感情を彷彿とさせます。そういう意味では音楽で感情をきっちり表現できている。スルーさせないエネルギーがある。だから、死とかこの際どうでもよくて、このった伝わってくる感情は漠然とした恐怖や不安を凝縮させたようなものです。そういった感情を疑似的に体験することは、リアルが欠けた私とってスリリングで心地よい。この楽曲はそういう楽しみ方もできますね。

 
妄想リアル もっとso real


 想像力がない人間は死ぬことを想起できません。どうしようもない現実だけれども、だからといって理屈だけで想像できるものではないです。でも、このリアルを聞くと少しは思うことができる。そして、それは人生によって必要な作業というのは語るまでもありません。受け売りです。だって、実際問題として死について思いを馳せることができません。まだ自分が自分である限りは死なないって思ってしまいます。


感じられることを 
全て喜びに変えろ



 難しい。希望としては、死によって回収される前に全ての感情を楽しみ尽くたいですが。いかんせん不干渉で不感症ときていますから。


 おまえ、もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね? 

 死ぬんだよなー。まじでいつかは。いつかなんて言ってることから、まだ死なないと思っている気持ちが表れていますね。けど死ぬ。死んでどうなる。リアルかそれは。小さいころは死ぬのが怖かったのに。いつからてきとーにあしらうようになったんだろう。リアルを下さい。

 というか、なんで俺は「分からない」という結論の記事をいつも書くのか。それすらも分からない。分からないことばっかりというのは分かるけど。まったくリアルじゃないですね。